西川氏が日産のCCO、CEOとなった後にも、実質的な最高トップとしてはゴーン氏が君臨していたわけで、西川氏が重用されたのはひとえにゴーン氏を補佐する幹部経営者、あるいは側近経営者としての要素だったと私は見ている。
当然、トップとNo.2ではその責任もプレッシャーも大きく異なる。ゴーン氏が逮捕により日産の経営現場から退場してから、西川氏の経営実績として報道されたのは、日産の資本政策や取締役人事をめぐるルノーとの交渉だった印象が強い。
側近経営者というタイプは、組織内での調整や組織内交渉に長じているのではないか。西川氏も自分に興味があること、つまりパワーポリティクス的なルノーとの交渉ごとに傾注するあまり、ビジネスの伸長や新技術の開発、社員のモチベーション向上などに力が入らなかったのではないか。1年間の業績と日産のステークホルダーの反応を見ると、トップの器としての西川氏の鼎の軽重が今回問われ、その放逐は致し方のないことだったのだろうと思ってしまう。
(この項 続く)
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