2016年12月31日土曜日

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(7)

全館一斉消灯の見直しを示唆する、これらの発言からも、法令違反、社員の自死という重大な事態に対しての、経営者としての厳然たる姿勢を見ることができない。危急存亡の時であり、「10時に帰れ、絶対だ」という姿勢で臨まなければならない。

 電通は、9月にも本業である広告分野で「ネット運用型広告の課金での不適正業務」、つまり過大不正請求を行っていたことを認めていた。深くしみ渡ってしまったアンチ・コンプライアンス体質が強く指弾される。

 電通と、石井社長に限っては、次の言葉を贈らせてもらう。
「だから、サラリーマン社長は駄目なんだ!」

 次回は、「2016年 経営者残念大賞」着外者を発表する。


追記:12月23日に発表された「第5回ブラック企業大賞2016」で電通は大賞を獲得した。社長個人と企業の両方でグランプリに輝いたということだ。なんといってよいやら。

(この項 終わり)

2016年12月30日金曜日

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(6)

本社などへの立ち入り調査が行われた後に、石井社長が社員に向けて次のようなコメントを出している。

「その(マスコミ報道の)論調は、電通という企業を糾弾するものです。一連の報道に接し、心を痛めている社員の皆さんの心情を思うと、私自身、社の経営の一翼を担う責務を負っている身として、慙愧に堪えません。(略)それは、これまで当社が是認してきた『働き方』は、当局をはじめとするステークホルダーから受容され得ない、という厳然たる事実に他なりません」(引用元:「週刊現代」<講談社/2016年11月12日号>より)

 このコメントは、同社の「ムラ社会」を如実に表している。犠牲者となった高橋さんのことよりも、社内組織という運命共同体への配慮が優先されているからだ。さらにトップリーダーであるはずの石井社長は、自らを「社の経営の一翼を担う責務を負っている身」と表現しており、私には「俺だけの責任ではない」、つまり「俺の責任ではない」と言っているように聞こえる。しかし、社長の責任でなければ、いったい誰の責任なのであろうか。

 石井社長はまた、11月8日付朝日新聞デジタル記事によれば、11月7日の社員への説明会で、社員から事前に寄せられた質問に答えるかたちで、次のように述べたという。

「(労務管理の緊急改善策として打ち出した)午後10時以降の全館消灯は、準備期間もなく申し訳なかった。改善しながら、皆さんに納得してもらえる施策にしていきたい」

 「(業務量の削減について)どの業務を減らすかはここでは答えられない。業務に関する情報は相手先があること」


(この項 続く)

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(5)

企業風土と戦わないサラリーマン経営者は、自らが抵抗勢力


 電通は12月9日に至り、「取り組んだら放すな」「殺されても放すな」などの言葉が記されている社員の心得、「鬼十則」を社員手帳に掲載するのを取りやめると発表した。同時に各部署での有給休暇の取得率50%以上の達成を目指すとした。「遅きに失した」ことではある。

鬼十則」は、電通中興の祖といわれる4代目社長、吉田秀雄氏によって1951年につくられ、電通社員、通称「電通マン」の行動規範とされてきた。電通にはほかにも有名な「新入社員富士登山」がある。今年でなんと89回目となった伝統行事だ。新入社員を先輩たちが支えてグループを形成して、登頂を競う、というものである。団体主義、精神主義を核とする同社の企業文化を形成してきたシンボル的な行事だ。

 石井社長自身も新卒社員としてこのような行事を潜り抜け、幹部としては主導し、その企業文化を体現した存在としてトップにたどり着いたわけである。大企業におけるこのようなサラリーマン社長が、企業文化や体質の変革に取り組むことは通常は難しい。何しろ自らがそのチャンピオンだからだ。

(この項 続く)

2016年12月29日木曜日

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(4)

電通では実は1991年にも、入社2年目の大嶋一郎さん(当時24歳)が長時間労働を苦に自殺をしている。大嶋さんは長時間労働に加えて、上司からパワハラまがいの行為にも遭っていたといい、うつ病に罹患してしまっていた。

 この事件は「電通事件」と呼ばれ最高裁判所まで争われ、2000年に過労死として労災認定された。つまり会社をあげての大騒ぎとなった事件だった。石井氏は事件当時の1991年は40歳、それなりに責任あるポストにいたはずだ。

 社員が死ぬ、犠牲になるというのは、会社を経営するうえで最大の失敗である。そもそも、会社を経営するのはなんのためか、誰のためかということに帰着する。もっとも重要なステークホルダーである社員を繰り返し犠牲にする企業というのは最悪で、社会的にその存在価値はない。そして、それを指揮してきた経営者には最悪の評価しか与えられない。

(この項 続く)

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(3)

自社社員の死にも拱手傍観



 石井直氏は電通の第12代社長。1973年に上智大学から新卒入社している。社長就任は2011年、同社としては営業畑出身の初めての社長である。

 社長就任の年次から、一連の「電通ブラック企業問題」に対する石井氏の経営責任は免れない。14年に関西支社(大阪市)が、15年に東京本社が、労使協定で定めた残業時間の上限を超える違法な長時間労働を社員にさせたとして、労基署から是正勧告を受けている。

 当局から正式な勧告、つまり違法状態の指摘をたて続けに受けていた状況のなかで、石井社長は2件の社員過労死事件を起こしてしまった。石井氏が自ら率いる会社の長時間残業体質に「気がつかなかった」ということはあり得ないから、経営者として言語同断の現状放置だったといわざるを得ない。

 新卒プロパーの生え抜き社長である石井氏は、自分が属してきた、そして今は率いている組織にしみこんだ「アンチ・コンプライアンス体質」に気がついていなかっただけでなく、自らが骨の髄までその体質に浸ってきてしまっていると私には見える。

(この項 続く)

2016年12月28日水曜日

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(2)

一連の捜査は、15年12月25日に飛び降り自殺をした電通新入社員・高橋まつりさん(享年24)の労災認定が、16年9月末に下りたことを契機とした。自殺に先立つ15年8月に、同社は労働基準監督署から違法な長時間労働について是正勧告を受けていた。

そんな直接的な勧告があったにもかかわらず、高橋さんの過労死を起こしてしまったため、本件は重大な問題として取り上げられている。端的にいえば違法性が大きく、悪質だということだ。世の親の立場からも、東京大学まで行かせた若い娘が著名企業に入社してわずか半年ほどのうちに早世してしまうなんて、と同情と憤激に堪えない事件だった。

 電通が強く指弾されているのは、高橋さんの過労死の過程で当局からすでに行われていた是正勧告を実現できなかったというコンプライアンス非遵守の問題に加えて、過去に社員の過労死が繰り返されてきた点だ。

 東京本社に勤務し13年6月に病気で亡くなった男性社員について、三田労基署が今年、長時間労働による過労死と認めて労災認定をしていた。会社側は「ご遺族の意向で詳細については明かせない」などとしているが、労災申請があるまで遺族側が会社に対してコンタクト、交渉があったと誰でも推測するだろう。

(この項 続く)

「2016経営者残念大賞」グランプリ 電通の企業文化を体現する石井直社長(1)

強制捜査を行い、押収物の段ボールなどを手に電通本社を出る
厚労省の職員ら(読売新聞/アフロ)
今年、業績を大きく落とした、成長機会を逃した、企業価値を大きく毀損した、危機的状況に際して拱手傍観してしまい窮地に陥る状況としてしまった、経営者としての倫理にもとった、社会に大きな損害あるいはリスクや不安を与え強く指弾された――などの残念な結果を残した経営者を顕彰する、「2016年 経営者残念大賞」。

 本連載ではこれまで、第3位にシャープの高橋興三前社長、第2位として三菱自動車工業の益子修社長兼CEO(最高経営責任者)を発表した。今回は輝くグランプリとして、電通の石井直社長を発表したい。

繰り返された悲劇に恬として恥じないブラック大企業


電通の東京本社などへの東京労働局の立ち入り調査が行われたのが、10月14日だった。さらに11月7日、厚生労働省が労働基準法違反の疑いで同本社や全国の支社に対して強制捜査に乗り出した。

 労基法違反をめぐるこれだけの大規模捜査は異例のことであり、大きく報道され、年末の今に至るまで人々の記憶に強く残っている。

(この項 続く)

2016年12月27日火曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(6)

昔、戦国時代の日本には「三菱の国」があった。出城である「三菱自」城は敵に取り囲まれ、落城寸前となった。敵とは、消費者、社会、そして監督官庁からなる同盟軍である。若殿・相川氏は元服したばかり。殿が元服する前から本国より城代家老「益子之守(ますこのかみ)」が乗り込んで、摂政として仕切っていた。

落城寸前となり、「今やこれまで」となってきたとき、敵国の大将「狩路権之輔(かるろす・ごんのすけ)」が密使を益子之守に寄越した。密書を見るや、益子之守は遠く権之輔との密談に馬を馳せたのである。

 合意はただちに成り、若殿相川氏は敵軍の面前で切腹することにより、城としての寛如を得た。すると益子之守は権之輔から出城の封地を安堵され、「三菱自」城の殿様として納まったという。
は頭から腐る」というが、着任10年を経ても企業変革を成しえていない、そして責任を取ってもいない。そんな益子氏に謹んで、「2016経営者残念大賞」を奉呈するしだいである。

 次回は「2016経営者残念大賞」で輝く第1位、グランプリとなった経営者を発表する。痛ましいことが社内で起きてしまったあの著名企業だ。

(この項 終わり)

2016年12月26日月曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(5)

16年に燃費データ偽装が同社で発覚し、相川社長は6月に引責辞任するに至った。これを「2度目」の不祥事としよう。

無為無策で名門企業を外敵に明け渡した


 そして「3度目」の不祥事というのはもちろん、今秋に発覚した、三菱自が不正を継続していたことの発覚だ。16年4月に燃費不正問題が発覚したあとも、都合のよいデータだけを抜き出す不正な方法で車の燃費を測定し、販売を続けていたのである。国土交通省が立ち入り検査して発表したことについて、同社は「不正な方法だとは認識していなかった」と説明したが、厚顔無恥も極まる。

 最高経営責任者としての益子氏の問題は、就任前に起こした「1度目」の不祥事のようなことを、二度と起こさせないようにすることだったはずだ。05年の社長就任から10年を経過している。その間、「2度目」があり、この秋に「3度目」を起こしてしまった。

(この項 続く)

2016年12月25日日曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(4)

益子氏は相川氏を要職で重用してきた。自らが社長に着任した05年には、相川氏を常務として抜擢。以来、商品開発統括部門や生産統括部門長兼生産管理本部長などを歴任させている。

 東京大学工学部出身で技術に明るい相川氏を重用した益子氏には、重大な責任懈怠があると私は見ている。益子氏は三菱自の財務諸表―数字―には注意を払い、改善させたが、技術や品質のことは相川氏に丸投げした、という構図に私には見える。

 ところが、重大なリコール隠しがあった三菱自でもっとも再生経営者が成すべきことは、生産部門や開発部門の改革であり、品質の保持だった。それらの改善による消費者・社会・政府からの信頼の再確立だったはずだ。

 益子氏はそこに自らの手を入れようとしなかった、汚そうとしなかった。あるいは相川氏が、「三菱グループの天皇」といわれた三菱重工業元会長の相川賢太郎氏の子息だということで、遠慮のようなものもなかったか。

(この項 続く)

2016年12月24日土曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(3)

組織の意識改革が難しいとしたら、「仕組み」をつくるアプローチがあった。内部監査の仕組み、内部告発とそれを受ける有効な仕組み、あるいは厳罰を伴う懲罰制度(不正報告に対する)などである。そして、実際に誰かを厳罰に付して一罰百戒を示すべきだったのだ。益子氏はそんなことを何かやったのか。

 益子氏はしょせん、三菱商事から三菱自へ移ってきた「三菱村」の同族だった、と私は見ている。悪く言えば「同じ穴の狢」、よく言ってもなあなあで荒事までは踏み込めなかった。

「2度目」の不祥事を起こさせた責任がある



 益子氏は05年に社長に就任以来、順調に同社の業績を回復させ、13年度は過去最高益と16年ぶりの復配を果たし、再建にメドをつけた。14年度も最高益を更新しており、同年6月には三菱自生え抜きの相川哲郎氏を社長に就任させるに至った(益子氏は会長兼CEOに就任)。

(この項 続く)

2016年12月23日金曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(2)

それは、三菱自に巣くっていた企業文化を根こそぎ変えることだったはずだ。負の企業文化として、リコール隠しに見られたような隠蔽体質があり、顧客(社会であり消費者)に対する無責任、無感覚があった。

 益子氏は、日産再建を主導したカルロス・ゴーン会長兼社長が見せた「見知らぬ力(りょく)」を最大発揮すべきだったのだ。私も新任経営者として外部から6度、企業に乗り込んだ経験がある。

正直、企業文化を変える、社員たちの考え方や業務上の価値観や優先順位に影響力を発揮することが、新任経営者としては一番難しい。その難しい領域に踏み込めるのが、外部から就任した新しい経営者である。

 三菱自の場合、それを果たさなければ社会や市場から許されない状況だった。何しろ、司法や政府からさえ指弾を受けていた状況なのである。

(この項 続く)

2016年12月22日木曜日

「2016経営者残念大賞」第2位 三菱自は、結局この10年間「何も変わっていなかった」(1)

日産自動車のカルロス・ゴーン社長と
三菱自動車の益子修会長兼社長(東洋経済/アフロ)
「2016経営者残念大賞」。
 今回はグランプリこそ逸したが、今年の“残念経営者”第2位として、三菱自動車工業(以下、三菱自)の益子修社長兼CEO(最高経営責任者)を発表したい

最悪の企業文化にメスを入れなかった罪


三菱自は00年、04年と2度にわたるリコール隠し事件を起こしている。この事件により2人の死者を出す交通事故が発生し、三菱ふそう前会長や元常務ら7人と、三菱自の元社長や元役員6人が逮捕されている。およそ東証一部上場の大企業としてあり得べからざる犯罪を犯した。これを「1度目」の不祥事としよう。

 結果、経営危機に陥った三菱自に手を差し伸べた三菱グループが04年に送り込んだのが、益子氏だった。三菱商事から同社へ常務取締役として送り込まれた同氏は翌年、社長に就任した。以来、同社の最高経営責任者であり続けている。
 では、再生経営者として着任した益子氏が果たすべき最優先責務は、なんだったのだろうか。

(この項 続く)

2016年12月21日水曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(7)

最大で3500億円の産業革新機構の支援に対し、鴻海案が7000億円の支援を示したことが、ホンハイ側の経済合理性上の強みだった。ホンハイはそれに加えて液晶事業の存続、雇用の維持を提示した。前者はホンハイがシャープを手中にするための戦略的な目標なので当然だったわけだが、後者はその後、ホンハイの態度が転変しているので予断を許さない。

 ホンハイ案にはもうひとつ、高橋経営陣の存続があった。高橋前社長が同案にすり寄ったのには、この要素がどれだけ大きかったのかについての分析報道はあまり見かけなかった。しかし、経営者上がりの私としては、意思決定における経営者の人間的要素は看過できないということを知っている。

 高橋氏が2月の業績発表会で、支援先の決定について「今、分析などでリソースをより多くかけているのは鴻海のほうである」とした時の顔つきが「ドヤ顔である」、つまり不必要に自信を示していると評された。その後6月に結局、退任に追い込まれた。今となっては、この人の先見性とか見識を分析するに格好な、発表会見だったのではないか。

 高橋氏は13年に着任早々、「社長がこんなにしんどいとは思わなかった」と報道陣に漏らしたのも脇が甘い。前任の三社長による「三頭政治」が一掃され、棚ボタ式に着任したサラリーマン社長だった。CEO(最高経営責任者)という重い責任に対するしっかりした覚悟がなかったことをみせてしまったコメントではないか。

 危機存亡に際した企業にとって、覚悟と責任感のないサラリーマン経営者は無用の長物だ。高橋氏が社長でなかったほうが、日本の名門企業としてのシャープの晩年はもっと美しかったことだろう。

 次回は「2016経営者残念大賞」で輝く第2位の経営者を発表する。

(この項 終わり)

2016年12月20日火曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(6)

残念な点(3):会社明け渡しで右往左往


 シャープの年次最終損益(3月期決算)は、次のように推移してきた。

・11年:+194億円
・12年:-3760億円
・13年:-5453億円
・14年:+115億円
・15年:-2223億円
・16年:-2559億円


 高橋経営で特に信が置けなかったのが15年で、当初の見込みはなんと300億円の黒字だった。それが終わってみれば巨額赤字である。

 この情勢を受けてシャープ売却やむなし、ということになり、15年中に優勢だったのが産業革新機構の主導による救済案だった。例によって主体的に動こう、何か自ら打開策を打ち出そうということがなかった高橋経営陣は、産業革新機構案に従う成り行きだった。

 そこに15年末になり、鴻海(ホンハイ)精密工業の郭台銘(テリー・ゴウ)会長が待ったをかけたわけである。

(この項 続く)

2016年12月19日月曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(5)

残念な点(2):意思決定ができない経営者


 高橋氏が社長に着任したときに、すでに業績の負担となっていたのがメキシコのテレビ工場だった。高橋政権下で売却が何度も検討されたが、高橋氏は決断しなかった。

 着任翌年の14年7月には、「現在利益を出しているので売却したら株主代表訴訟を起こされる」として売却断念の意向を報道陣に漏らした。ところがさらに15年に入り、この工場は中国の会社に売却してしまうことになる。赤か白か優柔不断、赤にした後、白になる。わずか2年の間にひとつの案件だけでこの始末だった。

 15年5月には、中期経営計画を策定し直して発表した。しかし、シャープの最大の構造的な問題だった液晶事業については手付かずで、高橋氏は「液晶がなければ、再建計画は成り立たない」と言い切った。

 ところが同年8月になると液晶事業の分社化検討を発表したのである。方針も、戦略も経営者としての矜持も見られない変節である。15年6月の株主総会では、株主からの「辞職しろ」「責任を取れ」などのコメントが飛び交い、社長以下役員は頭を下げることを重ねるばかりだった。

(この項 続く)

2016年12月18日日曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(4)

繰り返しになるが、高橋氏は学卒でシャープに入社したプロパー社員である。「けったいな文化を変える」と思いついて口に出してみたものの、その実現に対しての覚悟が果たしてどこまであったのか。

16年の株主総会で自らの退任に触れ、「ご心配なく、『サラリーマン役員』はここから去ることになります」と、自虐的に語っている。

 シャープという名門企業が構造的に不調に陥った状態で、高橋氏は経営権を引き継いだわけだ。しかし、その「不調構造」を正すべく前向きの戦略的な手を何も考え出さなかったし、打ってこなかった。ただただ、目先の資金繰りの施策と、不調が深まるにつれての底なしのリストラを繰り返すばかりだった。とても有能な経営者と称えられることはない。

 社員からの評価も地に墜ちた。高橋社長と働いていた現役経営幹部が次のように語ったとされる。

「なにより許せないのは、高橋社長は嘘をつくということです。これまで社員に説明してきた重要なことは、ほとんど嘘だった。そして、ものづくりのことはまったくわかっていないくせに、ただ債権回収さえできればいいと考えている銀行とグルになって社員をだましてきた」(15年8月6日付「現代ビジネス」記事『シャープ現役幹部が決意の勧告』<井上久男>より)

(この項 続く)

2016年12月17日土曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(3)

残念な点(1):何もしなかった


 高橋氏は社長就任後、期待に応えるようなことは何もしなかった、というのが私の評価である。

 1年目は業績が回復して高橋経営に対する幻想が高まったが、それは太陽光事業と中国シャオミ(小米)に対する液晶パネル供給が当たったおかげだった。これらの好調は結局、短期一過性ですぐに不調に陥ってしまった。着任初年度のビギナーズラックに目がくらんだ高橋氏は、結局これらの事業に対しての早い段階での見直し、リストラなどに踏み込めなかった。

 高橋社長が力を入れたのが「シャープのけったいな文化を変える」という、けったいな動きだった。不調な会社を再生するには、確かに企業文化を底から改革しなければならない。日本航空JAL)で稲盛和夫氏が実践したように。しかし、それはとても難しいことなので、それをめざす再生経営者はこれも稲盛氏のように身を投げ出す覚悟でかかり、その姿勢を見せなければ成就しない。

(この項 続く)

2016年12月16日金曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位(2)

存亡の時に擁立された無定見政権


 記念すべき最初の受賞者、2016年の第3位は、シャープの高橋興三前社長である。
 シャープは今年、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業に買収されてしまったのだが、鴻海の軍門に下った直接の経営責任がすべて高橋氏に帰しているわけではない。歴代の社長は次のような系譜である。

4代目社長(1998-2007)町田勝彦氏
5代目社長(07-12)片山幹雄氏
6代目社長(12-13)奥田隆司氏
7代目社長(13-16)高橋興三氏
8代目社長(16-)戴正吳氏


シャープの屋台骨を揺るがせたのは、いうまでもなく液晶事業への過剰投資で、それへ乗り出した町田氏が途を誤ったという点では、もっとも責められるべきだろう。しかし、その途を追随して傷を深めてしまったという点では、片山氏、奥田氏にも経営上の重大な失策があった。

 13年に片山会長(当時)が引責辞任することになったとき、奥田社長(同)に「あなたもやめるべきだ」として引導を渡し、自らバトンを受け取ったのが高橋氏だった。高橋氏は新卒でシャープに入社したプロパー社員。4代目社長だった町田氏も経営陣から排除したことから、経営の全権を掌握した格好となり、社内外の期待が大きかった。

(この項 続く)

2016年12月15日木曜日

シャープの晩節を汚した高橋興三前社長 「2016経営者残念大賞」第3位 (1)

2016年前期決算で、2期連続の巨額赤字について謝罪する
シャープ・高橋興三前社長
(ロイター/アフロ)
2016年も年の瀬が近づこうとしている。本年もいろいろな経済・ビジネス事案が報道され、なかには「事件」と呼んでいいほど社会の注目、あるいは指弾を受けたものもあった。

 一方で業績を大きく伸ばした経営者や、斬新で新しいビジネスモデルを策定して市場に颯爽と登場したアントレプレナー(起業家)も多くいた。1年を振り返って、それらの優秀な経営者を顕彰する企画や記事は従来から存在する。

 本連載では、ノーベル賞に対するイグノーベル賞的な性格の賞を勝手連的に創設して、ネガティブな見地から今年話題となった経営事案を総括的に振り返ることとしたい。「2016年経営者残念大賞」を謹んで発表する。

経営者たちの「残念度」からグランプリを決定


 選考基準はいくつかある。「残念」の内容としては、以下のようなものである。

・業績を大きく落とした
・成長機会を逃した
・企業価値を大きく毀損した
・危機的状況に際して拱手傍観してしまい、窮地に陥る状況としてしまった
・経営者としての倫理にもとった
・社会に大きな損害あるいはリスクや不安を与え、強く指弾された


「残念」のマグニチュードとしては、ひとつの指標として報道量がそれに当たるだろう。結果、対象となったのは、ほとんどが有名企業であり、それらの経営者となる。

 また、「選考の対象期間」としては、16年に当該企業の経営ポジションにあった個人、つまり経営者とする。産み落としたものは企業という組織が行ったことではあるが、「最終責任者は誰だ?」という観点から、その会社の経営者、多くは社長を対象に審議させてもらった。

 今年の「経営者残念大賞」は、初年ということもありグランプリと第2位、第3位までを私の独断と偏見により認定、発表したい。最後に他の数人を「着外残念賞」として紹介する。本編を入れて4回にわたる連載記事となる。

(この項 続く)

2016年12月12日月曜日

ブートキャンプ、同窓忘年会 相次ぐ



12月に入り、いくつかのクラスで忘年会が開かれ、声をかけられて出席をしている。

経営者ブートキャンプは12期続き、16年の2月で修了した。こちらのクラスをKBC1期、KBC12期などと呼ぶ。

リーダーズブートキャンプとして新装開店したので、LBC1期が終わっている。
LBC第2期は17年2月からだ。
http://senryaku.p1.bindsite.jp/pg173.html

実はクラスをまたいでの交流も盛んで、というより私が意識してあちらの社長さんをこちらの社長さんに紹介している。もちろん、ビジネス・チャンスがある、あるいはどちらかが相手の役に立つ、などと睨んでのことだ。

さいわい、実ビジネスが始まっているケースが多いのでよろこんでいる。来年も皆さん盛業を続けてもらいたいものだ。

2016年12月11日日曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(8)

いろいろ施策を打ってはいるが、同社の財務指標を見ると、足元では苦戦が続いている。同社が11月4日に発表した今年1-9月の業績は、売上高は前年同期比18%減の343億円、営業損益は37億円の赤字(前年同期は1億9000万円の赤字)、最終損失が40億円の赤字(同7100万円の赤字)となった。

 大塚社長は、昨年春の株主総会で実父・大塚勝久会長(当時)を放逐して経営権を完全に握った。それ以来、業績をさらに低迷させてしまっている。経営戦略の転換ということで「生みの苦しみ」が続いているとみることもできるし、続き過ぎているとみることもできる。

孤高のトップ


 大塚社長の発表を見ていて、私はなぜか韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領を想起してしまった。2人とも著名な女性リーダーである。公務に専念していて、信念がとても強く、社会や家族から非難され孤立しても職務を投げ出すことはない。強い意志を持つ、いわば孤高のトップである。

 しかし2人の大きな違いというと、朴大統領はいまや支持率4%以下という国民から絶対拒否の状態に陥っているのに対し、大塚社長には支持してくれる層が明らかにあるということだ。それは、大塚家具の株主たちだ。現在1250円前後の同社株を年末まで保持していれば、株主配当が一株に対して80円付く。それは昨年の株主総会で、経営権を保持しようとして社長が公約したことのひとつだ。

 16年12月期は売上高483億2,700円(前期比100億円減)、最終赤字43億5,800万円の大幅減益が予想されている。しかし同社の場合、どんなに赤字が見込まれていても、実施されるその株式配当は率として現株価に対して6%以上となる。いまどきこんな金融商品は、ほかにはあまり見当たらない。

 株主としては、大塚社長に拍手を送り続ければいいということだろうか。

(この項 終わり)

2016年12月10日土曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(7)

長すぎる「生みの苦しみ」


 冒頭の発表で大塚社長は、「この好調を受けて、リユース・アウトレット業態を拡大する。リユースの受付と販売を行う店舗を現在の8店舗から16店舗に拡大する」とした。ちなみに現在の店舗数は19店舗なので、ほぼ全面的な展開ということになる。

 それは確かに、高級路線から脱却しようとしている大塚社長の戦略に沿った流れにはなるのだろう。問題は、同一店舗内で正価品と混在させることになるので、正価品のブランド価値の毀損リスクが生じることだろう。

 そもそもリユース事業は、ビジネスとして同社にどれだけのマグニチュードをもたらすのだろうか。リンテリアの佐野社長が言うように、月商3000点を達成したとして、平均価格5万円とすると、年商18億円ということになる。大塚家具の年商580億円(15年12月期)に対して、社長がそこまで意気込める事業規模となればいいのだが。

 09年に社長に就任して以来苦闘を続けてきている大塚社長は、今秋にもいくつもの施策を打ち出してきている。10月にはイギリス家具の名門ブランド「DURESTA for MATTHEW WILLIAMSON」の販売開始を発表し、11月に入ると「STAR WARS/PREMIUM HOME COLLECTION 2016」や「世界の絨毯フェア」などのイベントも実施している。今回のアウトレット・リユース事業もビジネス拡大戦略の一環と見ることができる。

(この項 続く)

2016年12月9日金曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(6)

一方、仮にいくらか下回ったとしても、当社は家具配送専門のプロが作業を行ううえ、ご自身での手間がかかりませんので、自治体で処分した場合の費用と手間との兼ね合いで判断されることもままあります。また、ある程度の点数を申込むお客様も多いため、『成約しないことが多い』ということはない、という所感です。

 当社関係者のコメントということですが、当社の社員だとすれば、その方が査定担当したお客様の場合か、店舗によっても格差があると思われます。また、衣類収納家具のお申込みも多いのですが、衣類収納家具は中古市場ではニーズがとても低いので、仮に品質の良いものでも、そもそも査定金額水準が低いということはあるかもしれません。

また、今後も『買取りや下取りのキャンペーン』を期間を区切って実施していきますので、商品供給は安定して継続していけるようにしてまいります」

 中古家具の再販専業店舗ということで、トレジャー・ファクトリーやハードオフのような雑然とした店頭を想像していたが、豪華な少数一点ものが多いという印象である。2拠点で散見したリユース品の店頭価格は、書斎机で5万9800円、2人がけソファで6万9800円など、5~10万円近いものが多かった。それらは新品といわれてもわからないし、新品価格より数十パーセントは安い、とのことだ。

ところが「まったくの新品のアウトレット品も値引きしているので、同様の価格でお求めになれます」(店員の説明)という。つまり、客がセコンド・ハンドであるリユース家具に食指を動かすのは、よほど個人の嗜好にフィットする場合に限られるのではないか。

(この項 続く)

2016年12月8日木曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(5)

10月も余波があり、9~10月では453点の商品化にとどまりましたが、商品化のための人員も増強し、11月末までに約2000点の商品化を予定しています。10月にはメンテナンス完了していたものはかなりありましたが、商品としての登録が完了できていなかったため、登録済み数では453点ということです。

現状、1日70品程度の商品化のペースで進めておりますので、安定的に商品化を進めてまいります。また、引き取ってきたお品の一部はメンテナンスせず中古家具を取り扱う提携企業に販売もしております」

 また、大塚家具関係者は「査定額のほとんどは1000~2000円で、引き取り出張料として5000円かかるため、実際には成約しないことがほとんどだ」と語るが、これについても、同社広報室は次のように説明する。

「10月16日までのキャンペーン期間は、買取り・下取りとも家具引き取り時の『訪問作業料5400円』はかかりませんでしたが、それ以降の、通常の買取り・下取りに際しては、『買取り』の場合のみ訪問作業料がかかります。査定額については、アイテムやブランドの有無、商品の状態等によりかなり差がでますので、明確にいくらくらいとは申し上げられませんが、1品や2品の買取りの場合で、査定額が5400円を大幅に下回る場合は、成約になりづらいということはあるかもしれません。

(この項 続く)

2016年12月7日水曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(4)

リユース・アウトレット事業を担うのは、リンテリアという子会社だ。もともとは佐野春生社長を含めて6人の会社だったが、事業拡大に伴い41人に増員したという。

「9月、10月の2カ月間で、メンテナンスを終えて供給したリユース品は453点。そのうち、429点に注文があり、短期間で売り切れている状態。今後はもっとメンテナンスのペースを上げて、12月初めまでには2000点を用意したい。いずれは月に平均3000点の供給を目指している」(佐野社長、11月24日付「ITmediaビジネスオンライン」記事より)

 冒頭会見で大塚社長は1万1000点の中古家具を引き取ったと言ったが、店頭に出せたのは2カ月では500点足らずだ。どうも計算が合わない。この数字の差について、大塚家具広報室は次のように説明する。

「9月8日から『買取り・下取りキャンペーン』を実施しましたが、当初は約2週間で1万件を超えるほど申込みが殺到したため、通常3日間程度で査定額のお知らせをするのですが、人員が申込みへの対応で手一杯の状況がしばらく続き、かなりお待たせすることになってしまいました。結果として、お引取りした家具がリンテリアに入ってくるまでの期間が遅れたことで、9月のリユース品の商品化は限られた数量となりました。

(この項 続く)

2016年12月6日火曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(3)

こちらを23日に訪れたのは、同社がアウトレット・リユースをプッシュする販売イベントを22~24の3日間開いていたからだ。3日間の人出は好調で、私が訪れた23日はイベントの2日目にもかかわらず祭日でもあったせいか、午後4時過ぎに駐車場に入るのに難儀したほどだった。リユース大阪の閑散さとは対照的だった。大塚社長も鶴見でのイベントの好調に自信を深めて、冒頭の会見となったのではないか。

リユース事業は線香花火で終わるのか


 私は、上記2つの店舗で店員に「リユースの家具は、どれですか?」と尋ねた。「グリーンの品札のものがそうです」という。9月以降に大塚家具顧客から買い取ってきたもので、大塚家具以外の家具も対象となっており、新たな購買が課せられることもないという。

 東西の広大なショールームのどちらでも、グリーンの品札が付いた商品は大変少なく、見つけるのに苦労した。多くの商品はオレンジ色の品札、アウトレット品で、大塚家具の各店舗で展示していたものを減額販売しているとのことだ。店員に「『5点限り』などと書いてあるものもありますね」と尋ねると、「アウトレット品販売として新品のものもお売りしています」とのことであった。

 冒頭の会見で大塚社長は、リユース買取りの呼びかけに対して多数の応募、そして買取りがあったと発表したが、そのすべてがこれら2拠点で販売されているわけではないようだ。

(この項 続く)

2016年12月5日月曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(2)

7階と8階に大塚家具がテナントとして入っていて、リユース大阪は、7階の半分を占めている。その他の1.5フロア分は同社の通常店舗だ。

 私が到着したのは午後1時過ぎだった。リユース大阪部分の広さは5000平方メートルほどだと後になって知った。というのは、新装まもないこの店舗の入り口に立って店内を見ると、広大な店内には誰もいなかったのだ。

そして店の奥まで進んだが、客も店員もひとりもいなかった。その間、10分ほどである。「大塚社長が打破しようとしている、父・大塚勝久前会長時代に取っていた入店時の会員登録制度などの過剰接客が、徹底的に否定されている店なのかな」などと思った。
 顧客会員でもあった私は、探している家具があったため、書類を持った店員があわただしく通り過ぎようとしているのを引き止めて、質問させてもらった。

 さらに冒頭の発表前日、11月23日(水)には、「アウトレット&リユース横浜」店を訪れた。ここは大塚家具の倉庫だったところで、6階建て建物の3階部分を店舗としている。広さは4000平方メートル強だという。横浜駅より鶴見駅のほうが近い。大阪も鶴見もアウトレット拠点なので、公共交通からのアクセスはあまりいいとは言えない。その代わり、展示面積は十分に取れている。

(この項 続く)

2016年12月4日日曜日

大塚家具、広大なフロアに誰もおらず…久美子社長、放逐した父会長時代より業績悪化(1)

大塚家具有明本社Wikipediaより
大塚家具大塚久美子社長が11月24日に、リユース事業の進捗について発表会見を行った。同社では9月に家具の買取りと下取りを行うリユース事業の開始を発表していた。

大塚社長によれば
「一時期はコールセンターがパンク状態になり、受付の電話を当初の倍以上増やした。あまりの反響に驚いた」
という。

「これまでに約1万6500件の査定依頼があり、そのうち1万1000点以上を引き取った。また、家具の引き取りを希望した客のうち、4割が大塚家具での家具の買い替えを希望し、買い替え促進効果も出ている」(大塚社長)

 しかし、どうもこの発表と計算が合わない情報があるのだ。


誰もいなかったリユース・アウトレット店


この発表直前に私は、大塚家具が「リユース・アウトレット専門店」としている東西2つの店舗の検分に出かけていた。

「アウトレット&リユース大阪南港」店に入ったのは、11月18日(金)のことだった。ここは、リユース事業のために同社が10月に開店したばかりの専門店舗である。南港ポートタウン線というモノレールのようなニュートラムという電車に乗って行き、トレードセンター前駅に直結している商業施設、アジア太平洋トレードセンター内にある。新大阪駅からたどり着くのに小1時間かかった。

(この項 続く)

2016年12月3日土曜日

メがバンクで戦略策定指導 頭取も出席

メガバンクの一つで、子会社群の幹部の皆さんの戦略策定をお手伝い。

最後は、その銀行の頭取が出席し、役員とともに皆さんの発表を受けてくれた。

タイムマネジメントの策定とそのキープに腐心しながら進行したが、おかげで間に入ってくれた研修会社からも高評価をいただく。その研修会社も子会社で、前回はそこの幹部さんも参加者側だった。

大手の会社で誰でも知っているところで、皆さんさすがに優秀。集中して策定してくれて、立派な発表会で終えた。

2016年11月19日土曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(7)

「M&Aする際もEBITDA(利払い・税引き・償却前利益)で10倍以上となる金額の会社は買わない」と常々公言している永守社長は、堅実な投資家でもあるので、孫氏の後は追わないのだろう。

 業容を拡大する手法としてソフトバンクと異なる道を行くだろうというのが、私が感じた2点目だ。

「どの分野に出ても世界一になる。そのつもりでやらなければ経営者なんて要らない」

 実際には、日本電産のビジネス分野(ドメイン)はあくまでモーター関連にある。というより、モノづくりであり製造業が基本だ。ソフトバンクのように業界、業態を超えて脱皮していくわけではない。

 売上高2兆円に向けて、モーター単体だけでなく、モーターを組み込んだユニットやシステム、果てはソフトまでも傘下に収めようとしているが、その外にあえて出て行こうとしているわけではない。そこに永守氏の経営者としての節度と矜持を感じる。
「20年に年商2兆円という目標を掲げていますが、重要なのは営業利益3000億円のほう、というより営業利益率15%達成が私の目標です」

 そして、「こんな会社の株を買うのがいいのですよ」と、居並ぶ証券会社のアナリストに永守社長が“吼えた”。あえてこう表現させてもらうが、本当にそうなのかもしれない。

(この項 終わり)

2016年11月18日金曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(6)

今回の決算発表で、私は永守経営に2つの印象を受けた。

 1つ目は、「取り込む経営」の拡大である。同社はM&Aで、手っ取り早く拡大を実現してきたが、ここにきてシャープ出身の人材や、海外子会社へ現地人経営者を外から手当てするなど、人材の面でも自覚的に展開し始めた。つまり、「経営資源の外部獲得」を企業単位だけでなく、人材でも推し進め始めたということだ。

「海外の会社を経営させるのには、日本人を派遣したのでは駄目だということを学びました」

「結局、現地人で優れたCEOを採用するのがいい。新しい人で、営業利益率15%を目指してくれる意欲がある人だ」

この「取り込む経営技法」の延長として考えられるのは、財務資源の獲得と活用ということになる。永守社長の盟友である孫正義氏が社長を務めるソフトバンクは10月、サウジアラビア系ファンドと10兆円ファンドを組成すると発表したが、まさにこのような施策である。

(この項 続く)

2016年11月17日木曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(5)

このほかにもキャッシュフローの改善も示して、「生産性が上がっているので、機械などの生産設備への投資は相対的に減っている」と述べ、隙のない堅実経営を進めていることが窺える。

M&Aだけではない、「取り込む経営」


 永守社長は会見で「景色が変わってきている」とも述べた。規模や業容が変わってきたことにより、「良い人材が入ってきている」というのだ。さらに、「技術者や、管理職、課長でいうならこれから1000人は採用したい」と、勝ち組ならではの意欲を示した。

 創業以来、日本企業には稀有な「果敢なM&A経営」で業容を急拡大してきた永守社長だが、20年の目標として掲げた2兆円(17年3月期は1兆2000億円の見込み)に対して、「さらなるM&Aを計算しなくてもオーガニックな成長で達成できる可能性が出てきた」とした。オーガニックな成長とは、従来事業による成長のことだ。

 成長に加えて、前述したような磐石のオペレーション改善を果たしている。まことに14年のMVP経営者にふさわしい快進撃が続くことだろう。

(この項 続く)

2016年11月16日水曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(4)

また、社員の働き方にも変化が起きているという。


「残業を大きく減らしました。減った分は社員に還元します。半分をたとえば語学研修に使うなどしています」


「生産効率の改善で大きな効果を上げ始めたのが、工場のIoT化です。」


 IoT(Internet of Things:モノのインターネット化)とは、製造機器をインターネットで結んで管理することだ。その詳細について聞かれた社長は「他社に漏れては」との理由で明かさなかったが、こう述べた。


「片山(幹男氏、元シャープ社長)チームが大きな貢献をしてくれた。自動化で今まで7500名相当の現場要員を減らせたし、来年3月までにさらに同様な効果を見込んでいる」


 日本電産はIoT化への取り組みを同社の英語名にちなんで「Nidecスマート・ファクトリー」と名付けており、「今後順次当社の世界中の工場に導入したい」と、大きな費用削減効果余地があることを示した。

(この項 続く)

2016年11月15日火曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(3)

通期でも売上高は1兆2000億円と前期比1.8%増にとどまる一方、営業利益は14.7%増の1350億円と過去最高を見込んでいる。


「海外で買収した会社は、利益率5%程度でやってきた。そんなCEO(最高経営責任者)を思い切って替えたら、新しいCEOは15%を目指してくれる。これからもそうしようと思う」


「本社でも車載事業は48歳を本部長兼本社副社長に抜擢(11月発令)した。これでよくなる」

 

たゆまぬオペレーションの改善で筋肉質の組織に



「販管費の削減に力を注いできました。上海では14あった法人を大きなビルの1フロアに集めました。移転コストはかかったけど、その効率化、情報の共有化は大きな効果を生んでいます」
 
(この項 続く)

2016年11月14日月曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(2)

営業利益率15%を追い求めて、環境に左右されない業績


発表会で永守社長は、16年度上期は売上高こそ前年同期比4%減の5640億円となったが、営業利益は同15.8%増の690億円で着地したと発表した。

「営業利益は率として15%を目指しています。海外でM&A合併・買収)してきた子会社群も、ここにきてそれを叩き出してきているし、重点2事業である『車載』と『家電・商業・産業用』も急速に利益率を改善している」(永守社長、以下同)


 円高による107億円の減益要因を跳ね返し、過去最高の利益を叩き出したと、永守節が会場に響いた。


「為替とか、外部環境の劣化とか、そんなことに左右される経営はしていません。今年だけの、一過性(で果実を出した)のものはほとんどありません。数年前から取り組んできたことが数字に表れてきたのです」

(この項 続く)

2016年11月13日日曜日

また最高益の日本電産、課長千人採用の異例宣言…ソフトバンクと真逆の「堅実」拡大経営(1)

日本電産の本社
日本電産が10月24日に2016年度上期(4~9月期)の決算発表会を行い、永守重信社長が詳しく商品セグメントごとの業況を発表した。同社はモーターおよびそれに関連した部品、商品、ユニットを販売する総合メーカーである。

永守社長はアナリストたちからの質問に答えるかたちで、「20年、年商2兆円、営業利益3000億円」への道程を縷々披瀝した。


 永守社長は14年、「社長が選ぶベスト社長」(「日経ビジネス」<日経BP社/14年11月17日号)で1位に輝いた。今年のプロ野球でいえば、日本シリーズを制した北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督のような立場の経営者である。


 14年の全日本ベスト社長が今年の中間総括でどんな答案を示してくれるのか、私も大いに注目して発表会を聞いた。ちなみに発表会の音声が同社のHP上で公開されている。

(この項続く)

2016年10月30日日曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(7)

全国出光会のアプローチに対しても、昭介氏は面談の扉を開けようとしていない。いわば「聞く耳を持たない」。これはしかし、同社が創業以来標榜してきた大家族主義と大きく異なる対応ではないだろうか。この頑なな態度で昭介氏は大家族からの「信」を失っていると知るべきである。


 全国出光会が仲裁に乗り出したのを契機に、創業家側は扉を開き、矛を引くタイミングとすべきである。


 経営は現役経営陣に任せるとして「よきに計らえ」とするのが、世に尊重される大オーナーというものでないだろうか。それが、創業家に残った「名」を残す、輝かす途ということになるだろう。


「名誉会長がハーバード大学に入ったのは英邁なことだった」

 こんな称賛を今後、出光社員から聞くようなことはあるのだろうか。

(この項 終わり)

2016年10月29日土曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(6)

株主資本主義では「最大株主は会社を潰してもよい」とされるが、実際にはステークホルダーのことを慮るべきだろう。

合併延期の発表により10月13日、出光の株価は前日比6%安、昭和シェル株は5%安と急落した。創業家が合併反対を打ち出して以来、両社の時価総額は約460億円減少している。つまり、多くの株主が損失を被っている。

 9月に入り、出光の販売店組織「全国出光会」が合併に賛成の立場を表明し、創業家と経営者側に話し合いの再開を要望した。経営合理性という観点から創業家はその論点の「理」を持たないとしたら、創業以来取引のある販売店の離反により、「義」を失ったというべきだろう。

(この項 続く)

2016年10月28日金曜日

シグニアムインターナショナル(株) 創立20周年

福居 徹 氏
シグニアムインターナショナル(株)の20周年記念パーティに招かれて行ってきた。久しぶりにとてもハイブローで豪華なパーティだった。リッツカールトンで、ということでドレスコードの指定は無かったが、皆さんそういういでたち。200名ほどのうち、西洋人の男女出席者が40名近くもいただろうか。
 
創立者の福居徹社長は、日本のエグゼクティブ・サーチの草分け的なレジェンド・ヘッドハンター。シグニアムを創業する前は、東京エグゼクティブ・サーチ(通称テスコ)の副社長を長い間なさっていた。学習院の先輩、とは後に知ったことだ。
 

箱田 忠昭 氏
1983年の正月、MBA留学から一時帰国していた私は、箱田忠昭氏に面接された。箱田さんはそのときポラロイド社の採用コンサルというお立場で会ってくれた。

箱田さんに即座に落とされたのだが、箱田さんがその場で福居さんに電話を入れて私を紹介してくれた。そして、お説教された。

「山田さん、転職するなら横に跳んでは駄目です。縦に、上に跳びなさい」

それから私の外資転職人生が始まったのだ。あれから、33年を数える。箱田さんもパーティに来ていて、壇上に呼ばれて福居さんを囲んで鏡割りをなさっていた。


こんな人たちに育てられてやってきた。


出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(5)

君臨して統治しないのが大オーナーの矜持


 しかし、昭介氏のこだわりは率直にいえば過去の栄光を求めているに等しい。長く大手同族企業の旗頭だった出光は、06年に上場公開された。それは、昭介氏の後任社長として同族でない天坊昭彦社長(当時)によって実現された。

 昭介氏はそれ以前、01年に代表権のない名誉会長に退いていたので、その立場は同社の上場により、「最大株主グループである創業家を代表する」という「実質オーナー資本家」に変容して今日に至っている。

 今回の合併については、ビジネス上の合理性、つまり規模の拡大、コスト削減、経営効率化などのメリットが、両社の経営陣から繰り返し報告された。そして、2社による合併可能性の討議を通じて十二分に精査された結果、現下の状況で最善策として合意されたものだ。

 創業家は合併反対の理由として、両社の企業体質の違いを挙げる。このほかには、イランと親密な関係を持つ出光が、サウジアラビア国営石油の資本が入る昭和シェルと合併することは、両国が対立する状況下では不適当だとしている。しかし、両社が説明する合併による経営合理性について、個々の要素を創業家側は取り上げていないし、判断も示していない。
 

(この項 続く)

2016年10月27日木曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(4)

ちょうど私は米国留学から帰ってきたばかりだったので、日本で高校まで過ごした昭介氏がハーバード大学に入学することは、同大学の経営大学院に入るより難しいということをよく知っていたのだ。東京大学に合格するより、ずっと至難の業である。

 当時、出光サントリーと並んで、非公開企業、つまり同族企業の最大手の一つだった。出光チームから私が聞かされた社是は「和(やわらぎ)」というもので、大いに驚いたのはこの社是により、出光には定年がない、もちろん解雇もない、そして組合もない、という特異な労使関係であり、企業文化だった。


 社員の離職率も低かったし、皆さん丁寧で、人間関係を本当に大切にしている会社だった。有名な「出光の大家族主義」である。前述した特異な諸制度は、上場した後の今に至るまで同社では受け継がれている。


 昭介氏が今回の合併話に反対を表明したのは、そんな異色の企業文化を持つ出光と、外資である昭和シェルとでは「社風が合わない」、この1点に尽きる。

(この項 続く)

2016年10月26日水曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(3)

合併への対抗策として、本年8月には昭和シェル株40万株を取得するなど、昭介氏の両社合併への反対の意思は固いとみられるが、代理人として弁護士の浜田卓二郎氏を立て、自らは表に出てこない。館長を務める出光美術館は出光本社内にあるが、本案件について出光の現経営陣と面談したのは1回にとどまっているとされる。

大家族主義の社風が出光の誇りだ


 私は1984年に1年間、出光本社とビジネスでかかわったことがある。当時は米シアーズのプロジェクトを代表する立場だったので、出光側の経営中枢チームと仕事をさせてもらった。その出光チームには創業家の方もいたので、総帥だった昭介氏について尋ねると、「社長は米ハーバード大学卒業で」と誇らしげな顔で告げられ、肝を潰した記憶がある。

(この項 続く)

2016年10月25日火曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(2)

出光の創業家が頑なに反対


ガソリンや石油の市場規模縮小が続くなか、業界各社は合従連衡により規模を確保・増大することで生き残りを図っている。民族派である出光と外資の昭和シェルが合併を発表したのが、15年11月のことだった。“資本の国籍”は違えど、現下の業界地図からは妥当な組み合わせとみられた。

 ところがその発表の翌月、出光創業家の出光昭介氏が反対を表明して、本合併案件は迷走し始めたのである。

 89歳の昭介氏は、出光創業者である故出光佐三氏の長男で、同社の第5代社長、そして会長を経て01年に代表権のない名誉会長に退いている。昭介氏個人としての持ち株比率は1.21%だが、創業家関連で3分の1以上の株式を保有し、合併が諮られる株主総会が開かれれば、グループとして拒否権を行使できるとみられている。

(この項 続く)

2016年10月24日月曜日

出光の合併を阻止し株主に損をさせる創業家は、経営合理性も「義」も欠如している(1)

石油元売り大手、出光興産昭和シェル石油合併に向けた協議が迷走している。出光創業家が反対しているためだ。

しかし、同社の長期的発展の視点からみると、この反対は果たして正しいのだろうか。逆にここで大株主としての“度量“を示せば、その世評は高まるだろう。


 出光の月岡隆社長と昭和シェルの亀岡剛社長は、10月13日に共同記者会見を開き、来年4月としていた合併の時期を延期すると発表した。出光創業家が現計画での合併に反対しているためとした。

 出光による英蘭ロイヤル・ダッチ・シェルからの昭和シェル石油株取得は、従来どおり10~11月を予定している。2017年4月に予定されていた合併は延期するが、株式取得に向けた公正取引委員会の企業結合審査は続いているという。

出光の創業家が頑なに反対


(この項 続く)

2016年10月23日日曜日

セブン&アイ、深まる混迷と社内に鬱積する不満…「皆の意見を聞く」井阪社長の限界(8)

今回の発表でも、百貨店事業ではエイチ・ツー・オー リテイリングに3店舗が譲渡されたことが発表されたが、それ以外の店舗はどうするのか。鈴木氏が過度に傾斜していたオムニチャネル事業を単なるマーケティング・ツールへとリ・ポジショニング(転換)し、鈴木氏が「世襲への布石ではないか」と腹を探られていた主因であった次男・鈴木康弘取締役を同事業の責任から外したのも正しいことだ。

今回の発表は概ねの方向性としては正しいほうに向かっているが、当面取り組む改革としては物足りないし、18年2月月期に始まる中期3カ年計画(これも鈴木時代にはなかったものだ)で目指すことも、同グループの規模感からみれば物足りない。

 前述のとおり、「能吏でおとなしい」というのが井阪社長に対する私の印象だった。経営技法も経営計画も、結局はお人柄の範疇に収まるということだろう。鈴木氏による更迭を拒みきった“芯の強さ”を、計画展開のフェーズではぜひ発揮してほしい。

(この項 終わり)

2016年10月22日土曜日

セブン&アイ、深まる混迷と社内に鬱積する不満…「皆の意見を聞く」井阪社長の限界(7)

しかし、「皆の意見を聞いて」「一枚岩を目指す」やり方では、何も大きなことができない。そこが従業員社長として祭り上げられた井阪氏の手法であり限界であろうと私は感じた。

今回の中期3カ年計画取りまとめの中心になったとされる「改革委員会5人組」に創業家出身の役員がいるというだけで、祖業であるイトーヨーカ堂事業への包丁さばきが鈍っていることがうかがえる。

物足りない「100日プラン」


 私は4年前から、セブン&アイ・グループは祖業であるイトーヨーカ堂を売却せよ、そこで得られる何千億円というキャッシュをコンビニ事業の世界展開に投入せよと指摘してきた(15年1月31日付け本連載記事『セブン&アイ、株価下落の元凶“お荷物”ヨーカ堂を即刻売却すべき 超優良グループに変身』)。今年に入り、投資ファンド、サード・ポイントも同じことを要求した。

(この項 続く)

2016年10月21日金曜日

セブン&アイ、深まる混迷と社内に鬱積する不満…「皆の意見を聞く」井阪社長の限界(6)

「皆の意見を聞いて」の限界



「稽古不足を幕は待たない」タイミングで舞台に立たされた井阪氏は5月の社長就任時、「100日待ってくれ」「100日後に『100日プラン』を出す」と正直に告げた。これは大正解だったと思う。井阪氏は直感的に優れている経営者なのではないかと感じた。


 私自身もこれまで経営者として企業再生に入った時は、「3カ月戦略」ということをよく言っていた。「着任して3カ月目には再生戦略を立てろよ、さもなければ何も始まらないよ」ということだ。
 10月6日の発表会は、中期3カ年計画も含めて、まさに井阪氏の答案提出となったわけだ。冒頭で井阪氏は次のように述べ説明を始めた。


「グループの経営をどう舵取りするか。社内外多くの方々の話に耳を傾け、考え抜いてきた」

(この項 続く)