2012年12月31日月曜日

人生で最も幸せな時代

インサイトラーニング社の納会に28日(金)出席して、今年の公務は終了した。私は同社で副社長特別講師を仰せつかっている。30年来の先輩友人であり、セミナー界の大御所講師となった箱田忠昭社長が挨拶され「古稀となった」とうかがった。箱田さんと私の共通した元上司(別々の会社で)が新将命氏で、箱田さんは「三巨頭」といつも冗談を言っている。「新春には久しぶりに三巨頭会談をしよう」など。

納会で私が挨拶したのは、「実業の経営者から引退し、著述・コンサル業に転身させて貰ったのが4年前。この3年間が自分の人生で最も幸せな時代となった」。

そう、思いがけなく「幸せな時代」だ。実業の現場にあったときほどの緊張感や充実感は無いものの、時間があり余裕ができた。何より、後輩の経営者やそれを目指している人たちを助けている、育てているという実感がある。ことしも良い年を送れた。出会ってくれた人たち、皆さん全員に感謝してこの年を送りたい。皆さん、ありがとう。来年も良い年にしたい。

2012年12月30日日曜日

経営者ブートキャンプ 実録日記 抜粋(25)


出口特別講師、演題は「リーダーシップについて考える」

今回、クラスには事前図書として『「思考軸」をつくれ-あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由』(英治出版、2010年刊)を指定し、読んできて貰った。出口さんのお話に対する理解が深まったし、質問が活発に出ることとなった。

出口さんの経営論というのは独特で、そもそも骨太な世界観、歴史観から醸成されている。

「数字で考えろ」
「ダイバーシティ(多様化)が重要だ」
「古典を読み込み、思考軸を創れ」
「思考軸により、一瞬で判断せよ」

など、大会社日本生命の一サラリーマン上がりの方とはとても思えない。驚嘆すべき読書量による、大教養人だ。こんな経営者は希有の存在だろう。希有だからこそ、学ぶところが大きい。また、経営者ブートキャンプが学べるレベルの経営者というのは、実はそんなに多くは存在しない。


(この項 続く)

管理職特別研修 メーカー 次代の幹部を育てる(1)

300名弱の製造業。各部門から選抜された6人の若手管理職に新年より3ヶ月集中研修を始める。

地方なので、前泊とし月2回通う。事業会社からの研修依頼というと、この形が多い。社長さん個人の家庭教師というケースもあるが、グループの場合はじっくりとやらせて貰うのがご本人達の成長の糧となる。

選抜型だと粒も揃っているし、意欲の高いクラスとなるので、私もやりがいがある。

(この項 続く)

2012年12月29日土曜日

経営者ブートキャンプ 実録日記 抜粋(24)

出口特別講師、演題は「リーダーシップについて考える」

戦後初めて認可された独立系の生命保険会社となったライフネット生命のビジネスモデルがまた極端だ。
 従来の生命保険料をほぼ半額とする。
 そのために、ネットでの募集しか行わない。

日本における出生率の低下、それは「若い世代が安心して子供も生めない」社会環境にあるという出口さんの基本認識があった。「安心感を担保する生命保険こそ、子育て世代に手の届くものでなければ」という出口さんの熱い思いがあったそうだ。

30歳下の副社長。
創業にあたり出口さんが手を組んだのが「あの」岩瀬大輔氏だ。東京大学在学中に旧司法試験合格、ハーバード・ビジネス・スクールでは日本人4人目のBaker Scholar(優等生)を受賞し、留学記がベストセラーと成っている。2010年のダボス会議でYoung Global Leadersの1人に選出された。こんな経営者コンビが存在するということだけでもとてもスリリングだが、そのお一人から親しくお話しを聞けるという経営者ブートキャンプはとても幸せなクラスだ。


(この項 続く)

経営者ブートキャンプ 実録日記 抜粋(23)

出口治明特別講師、演題は「リーダーシップについて考える
 9月1日(土)に、第5期の第5講を迎えた。その日のクラス内容を報告する。

ライフネット生命の創業社長である出口さんは、まさに今が旬の経営者だ。新しい会社ということもあり、「頼まれれば出かけて話す」というポリシーにより、この日時点で今年既に講演の類を180回もこなされたという。

日本生命に大学新卒として入り、定年まで勤め上げた出口さんが、60才の時に生命保険会社を設立した。生命保険会社はその特殊な業態もあり、設立に当たり財務省の許認可事項となっている。また、保険加入者への支払いを担保するために、高額の資本金が求められる。出口さんは、初期資本金として何と132億円(!)を集めた。ベンチャー企業としてこれだけでも驚異的なことだ


(この項 続く)

2012年12月28日金曜日

『世界の経営学者はいま何を考えているのか』 入山章栄 書評160(3)

 
現実の経営現場で起こっていることを、数百の事例を集めて統計処理するのが現在の研究主流だという。これはつまり「起こっていることの分析」であり「叙述」なわけだ。

さて、それではそのようなアプローチで認識された経営傾向が明らかとなった場合、経営現場ではどんなことが起こるのか。「それはいい」とベンチマーク(模倣)するか、「人の行く裏に途あり」と、敢えて別の経営行動を選ぶ経営者もいるだろう。

経営学とは究極的には経営者学という側面がある。人間の営為だ。人間のなす事を捉えること、理解すること、叙述することは難しい。アカデミーとしての経営学がどこまでそういう点に迫れるか、興味があるところだ。

ところで本書には例えば
「興味をお持ちになった方は『ジャーナル・オブ・インターナショナル・スタディーズ』の特集号を読んでみるとおもしろいかもしれません」などというような記述がさらりと出てくる。このマニアックなレベルの高さが、読者のプライドをくすぐって売れているところがある。

(この項 終わり)

2012年12月27日木曜日

『世界の経営学者はいま何を考えているのか』 入山章栄 書評160(2)

 一番興味を持ったのは、「現在の研究動向では、一流ジャーナルに論文が載ることを研究者は目指している」ということ。これは自然科学系の動きと同じだ。

次に、それらのジャーナルに載る現代経営学研究の圧倒的な傾向は、統計処理による多数企業事例の取り扱い、ということだった。なにしろ、一つのことを言うのに、数百という企業の数値を入れ込むので、そうなると個々の企業は無名性のものとして扱われる。個別企業における経営行動特性の方には焦点がむけられない、ということとなる。

(この項 続く)

『世界の経営学者はいま何を考えているのか』 入山章栄 書評160(1)




 
英治出版、新刊。
知らないことが沢山書いてあり、興味深く読んだ。もちろん参考にもなったし、益が有ったので感心した。

著者は、アメリカのBスクールで現役の若手准教授。経営学専攻。日本からの客員教授などの短期ではなく、あちらプロパーで腰を据えての研究者なので、欧米での現在の経営学の渦中で活躍している。

私も東京で一応経営戦略の学会で末席を汚し、時々研究発表会に出させて貰っている。1999年までは博士後期課程に在籍していて、日本の大学における経営学研究の雰囲気くらいは感じているつもりだ。ずいぶん違う。

(この項 続く)
                       


2012年12月21日金曜日

経営者ブートキャンプ 実録日記 抜粋(22)

2020年、5兆円は達成可能か、ボトルネックは何か 
柳井正の野望の達成について、クラスの討議は大いに盛り上がった。とある、オーナー経営者の指摘が記憶に残る。
「豊臣秀吉の朝鮮出兵ですな。秀吉は63才に至り、海外制覇を企み愚行を実行してしまった。柳井氏もまさに63才だ。世界制覇の夢に駆られ、、そして挫折するだろう」

同じ人の発言
「最後は中内功で終わるのでは?ダイエーを大企業にしたあげく、後継に失敗し、全財産を銀行に没収された」
確かに、今は柳井が元気だ。しかし、後継者をどうする?社内研修機関で育てていると言ってもミニ柳井が出てこないだろう。外部からの招聘にはもうまともな経営者は誰も応じないだろう。事業の早い規模展開にはM&Aが不可欠だ、、 ユニクロよ、柳井正よ、どこへ行くのか。


(この項 続く)

経営者ブートキャンプ 実録日記 抜粋(21)

2極戦略論(マイケル・ポーター)とビジネス・モデル論
 
ポーターの「2極戦略論」は「コスト・リーダーシップ戦略か、差別化戦略か、どちらかを選べ」というものだった。ユニクロの事業は、この両方を同時実現したところに成功があり、ポーター的な戦略論で説明出来ない点でもあった。
 
この相克を私は、「ビジネスモデル・セオリー」で解説した。拙著『超実践的経営戦略メソッド』(日本実業出版社、2011年刊)の中で既に敷衍していたことではあったが。
(この項 続く)


2012年12月20日木曜日

老親介護 キャリア中断 Career Disturbance

九段クラブ(30年以上続く、月例勉強会)の忘年会に出席。

私たちの後輩で、40台のキャリアウーマンの消息を知る。誰もが知る一流外資にいて、語学も堪能で活躍していた。
「今頃は事業部長クラスか?」
と思われていた人が、地方都市で地方公務員となっていた。母上の介護のためと。

40台、50台、そして60台に至る昔なら自分が老人問題の対象となっていた世代まで、老親の介護のため引退したり、閑職を自ら選ぶ例が多くなってきている。老人問題は、実はその子供世代の働き盛りキャリアをストップさせる、別の大きな社会問題を生み出している。

2012年12月18日火曜日

次作執筆中!

この頃、本ブログで書評のアップが少ないとお思いですか?

実は次作の執筆に追われています。仮題は

これで語れる、立てられる本当に使える・使えない経営戦略

春に店頭に出るように何とか、、。
「私のマイ・ベストは次回作だ」といつも言う作家がいたけれど(夏目漱石です)。

『30歳までに手に入れたい仕事力99 』 車塚元章 書評159

30歳までに手に入れたい仕事力99フォレスト出版、新刊。

著者は研修・セミナー講師。コミュニケーションやプレゼンテーションをビジネス・パーソン対象に教え、造詣の深い専門家。

本書は、若手ビジネス・パーソンが身につけたい能力を、主としてコミュニケーションの視点から次の6つに分けて説明している。
1.話す 2.聞く 3.書く 4.人前で話す 5.交渉する 6.問題を解決する

そして全体として99の項目を各2ページ見開きで説明している。この分野、この年代に求められる能力の棚卸しとしては十分で、帯に「半分できればもう一人前」と謳われているのも首肯できる。

各項目2ページという紙数に、裏付けとなる心理学などの専門知識が何気に示され、説得力がある。この分野のスキル本として、とても充実した1書だ。

2012年12月17日月曜日

日本原子力学会 技術者の発想を考える (7) 


政治の問題
ここの段落で私が指摘したいことはただ一つ
そういうところに逃げ込むな
ということだ。当該技術者よ、科学者よ、自分たちが世に送った技術について責任を取ってくれ、問題を解決してくれ、ということである
検証
この項目での飯田の発言は、そこまでに書かれた文章の要約で、私も上記に感想を述べたので、本項の飯田発言についての私としての追記は特にない
総括
小林秀雄と湯川秀樹の対談から筆を起こした飯田エッセーは、その対談で最も重要なメッセージとして引用した小林発言―「『ぼくらの精神―道義心』をかかげろ」―とどう結びつくのか。飯田は小林発言に賛成しているのか、反対しているのか。本エッセーは、論理的構成としてその骨のところでこのように不分明だ。つまり飯田は旗幟を鮮明にしないで、本トピックに関して書き連ねている

このような筆者のスタンスというのは、当該問題についてのつまり当事者意識の欠落を示している。これがこのエッセーというか、飯田の最大の問題だ

原発事故は私たちの社会に未曾有の災厄をもたらした。もたらした側の技術・科学、あるいは産業側の構成員としての自省が本エッセーにはついぞ読み解くことが出来ない

本エッセーで見ることのできる飯田の認識は、核技術を各国に売り渡して恬として恥じなかったあのパキスタンの科学者につながる思想のように私には思える。 
 
(この項 終わり)

2012年12月16日日曜日

日本原子力学会 技術者の発想を考える (6)


質的に変わった問題

掲げている小見出しは飯田のエッセーに対応させている。この段落での飯田の問題意識は二つある

一つは「事故による放射性物質の拡散」で、もう一つは「放射性廃棄物の貯蔵」だ。
後者について飯田は
1600年以内に超長半減期の核種を消滅させるための分離技術こそが『思想』の核となる」
としている。ここで「思想」とは「廃棄物に対するはっきりした思想」とのことだ

しかし、上記二つの問題を同列同時に論じることは、社会的に有効なこととは思われない。後者については1600年という時間の余裕があるが、前者はまさに今の世界に起こってしまっている現象、そして私たちが晒されている脅威なのだ。当該技術の開発、拡散に関わってきた技術者のまさにその一人として、飯田に求められているのは前者の問題に対しての解決策を私たちの世代で解決する技術を確立することなのではないか。当事者意識の欠落を恬として恥じないのはおかしい。
 
(この項 続く)

日本原子力学会 技術者の発想を考える (5) 


原子力が上記のエネルギーと決定的に異なる点は、新しく人類によって開発された科学技術だ、ということである。そして私たちはその新しい技術をうまく制御する対応技術も社会システムもまだ構築できていない、ということなのだ
この点を無視して、専門家風に市民を言いくるめて一時的に「言葉を失」なわせても、原子力技術の本性を糊塗できるわけではない

飯田が「第2の点」としたのは
「資源はすぐ枯渇する、(略)化石燃料はあと400年で使い切るし、、」
ということだ

確か、1973年の第1次オイルショックの頃は、「あと40年」だったのではないか。それが原油価格が高騰するとそれまで不採算だった油田が開発され、伸びてきた。このごろではオイルシェールやオイルサンドの活用により、「あと400年」などと言われるようになった

化石燃料の可掘年限の延長推移をふりかえって思うことは、「科学者側の恫喝理論」と社会のほうの「経済合理性を元とした対応力」ということだ

仮に「あと400年」だとしても、その間に価格高騰があれば、経済合理性により開発範囲は広がる。なにより、例えば今から400年前と言えば、江戸時代の始まりである。そこから現代に至るまでの時間枠があるのなら、技術的ブレーク・スルーが無い方がおかしい。個人的には太陽熱のエネルギー転換の分野で、化石燃料のコストを下回れば問題は解決するはずだと信じている。
 
(この項 続く)

2012年12月15日土曜日

日本原子力学会誌 技術者の発想を考える (4) 


エネルギー資源論

「原子力発電の代替として推されている太陽、水力、風力、バイオエネルギーはすべて、太陽の核融合反応に源を発している」
さらに
「地熱エネルギーも地中での核崩壊の結果だ」

と、飯田がとある会合で説明すると、相手は「言葉を失」ったそうだ。しかし、ここに恐ろしいまでの論理の飛躍がある。原子力以外のエネルギーの源とは、自然に既に存在し発生していたモノだ。それらに対して人類は―あるいは地球環境全体さえも―適応してきたし、対応してきた。火山爆発や地震、台風などもエネルギーの不制御という観点はあるが、少なくとも人類はそれらに対応してきたからこそ、今日の発展があるわけである。
 
(この項 続く)

2012年12月14日金曜日

日本原子力学会誌 技術者の発想を考える (3) 


技術の力

飯田は言う
「技術的素養を行使することをためらったり、反省する必要はないのである
飯田がここで書いている「市民との会合」で常識のある市民に批判されたのは当然である
 
飯田はこうも言っている
「『原子力が悪い』と繰り返される言い分に対して、原子力は単なる技術であり、そういってよければ『悪い』のは成熟していない人間社会の方だ」

しかし、人間社会の中で「技術」に対して一義的に責任を負うべきなのはそれに近い集団であることは論を待たない。直截的にはそれを開発し、進行させている科学者、技術者である。それを社会全体の問題として拡大して責任を拡大分担させようとするのは、問題のすり替えである。つまり無責任だ。 
 
(この項 続く)

2012年12月13日木曜日

技術者の発想を考える (2) 日本原子力学会誌




しかし、小林が内包した「性善説」は言うまでもなく虚構、夢幻の話なわけだ。世界は悪意に満ちている。

対談が対象とした核爆弾技術に限っても、その技術を世界流布しようとした狂気としか思えないパキスタン科学者がいたし、世界の武器商人は取り扱う商品が核であろうが非核であろうが、考えることは経済合理性だけであり、さらに言えばそれが非合法であることなど意に介さない。あるいは、西側先進国がテロとして位置づけている諸勢力も、その主張の実現やキリスト教文化圏への対抗のために「正義」として核爆弾の入手を画策する。

小林が主張する「ぼくらの道義心」とは、つまり相対的なモノであり、自己満足なモノでしかないのだ。つまり不完全であり続ける。そうだとしたら「それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない」とする小林の発言は、「技術に対抗する力は無いのだ」という文章に置き換わる。
 
(この項 続く)

2012年12月12日水曜日

技術者の発想を考える(1) 日本原子力学会誌


飯田武彦という人が、『「技術の力」と「ぼくらの精神」』というエッセーを書いている(談話室、日本原子力学会誌、Vol.54,No.8,2012)。http://kie.nu/CfV
そのエッセーへの感想を求められたので、本稿を起こしている。以下、飯田エッセーの各項目に沿って私の感想を書いていく。

ぼくらの精神
エッセーのタイトルにも掲げられている「ぼくらの精神」とは、湯川秀樹との対談の中で小林秀雄が
 
「目的いかんにかかわりのない技術自身の力がある。目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない」
 
としたことだという。そしてこの二人の対談から、飯田は幾つかの論点を見いだして彼の稿をすすめたわけだ。
上記の小林発言で私が思うことは、「ぼくらの精神が要するに道義心だ」ならば、その道義心が欠如する世界や社会ではその技術を制御・対抗するすべは失われる、ということだ。小林自身も、道義心がなければ「対抗する力がない」としている。だからこそ道義心を涵養しよう、確立しようと、私たちを啓蒙している、という論理構造だ。
 
(この項 続く)

2012年12月11日火曜日

東京商工会議所で経営戦略セミナー

年末恒例となった、東京商工会議所本部での経営戦略セミナー。「戦略カードとシナリオ・ライティング」により、一日掛けて経営戦略立案技法を習得して貰う。

財閥系の会社の企画部門から、若い女性社員が来てくれていた。自己紹介をしてもらったら、今年入った大卒新入社員だということ。今までの私の経営戦略セミナーで最年少の参加者ではないか。終了アンケートで5点満点を付けてくれたので、一安心。「とても勉強になった」とまで言ってくれた。将来の女性CEOに拍手!

この日の参加者アンケート、一人の4.5以外のオール5。こんなフルマークのセミナーもまた記憶にない。東商のご担当者もびっくり。

2012年12月10日月曜日

経営者ブートキャンプ、第6期第3講と忘年会(2)

この日の最終セッションは、私の「組織戦略」2時間。組織の基本的なバリエーションを説明した上で、私が実際に預かった企業の組織をどのように改編したか、を実組織図を使って説明。その際に留意したこと、時間的枠組みのことなどを解説。この日は、井上講師のセッションと私とで、結局「組織」をテーマとした1日とした。

夕刻、いつものように皆で飲みに行った。忘年会と銘打ったら、外での忘年会がある参加者が居て、講師を含めて10人ほど。一人の参加者がつくづく言った。その人は事業部長。

「今回で3回目だが、こんなに刺激のある研修を今までに受けたことがない。当社には某有名コンサル会社から幹部研修として来てくれているが、単にマニュアル通りのことを話しているというのが透けて見える。何より『お前ら、俺たちを教えられる立場かよ』というのが私たちの本音だ」

というのだ。まあ、創業やらオーナー社長が半数近いこのプログラムの迫力は他のどこでも求められないだろう。  (この項 終わり)

2012年12月9日日曜日

経営者ブートキャンプ、第6期第3講と忘年会(1)


井上和幸氏

12月8日(土)はブートキャンプ。午前中は、グループワーク第2回目。今回は一人45分発表して貰い、ずいぶん突っ込んだ討議が繰り広げられた。

午後一番は井上和幸講師の「人材マネジメントを『科学』する」講義。活発な質疑とともに140分。

井上さんは経営者JPを率いて、「日本一の社長ハンター」として活躍中。人材コンサルとして種々の賞に輝いている、名実ともに第1線の経営人材コンサルタント。著書も立て続けに出している。「サーチを超えた確立したネットワーク」を謳っているが、経営者ブートキャンプも一つのハブ(経営者の交差点)として貰っているようだ。

(この項 続く)

2012年12月7日金曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(21)


どんな価格帯からも「破壊的技術」はやってくる

2世代としてリリースされたデジタル・カメラの価格帯は3万円から8万円が主なものでした。それらに対応するコンパクト・カメラ(フィルム)の価格帯も実は同様なものでした。デジタル・カメラ側は意識的に従来のコンパクト・カメラの価格帯に揃えて来たことがうかがわれます。

クリステンセンは、バリュー・チェーンの存在のために従来型企業が下位価格に移ることの難しさを指摘しています。そのため、「破壊的技術」は従来型製品より安い価格帯で出現するものだと思われがちでした。しかし、クリステンセン自身は『イノベーションのジレンマ』の中で、そのようなことは言っていません。

デジタル・カメラの場合は、旧来型商品群と同じ価格帯に出現しました。こうしてみると、高価格帯域に出現する「破壊的技術」もあるはずです。

(「破壊的技術」の項 終わり)

2012年12月5日水曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(20)

見ない振り
使い捨てカメラと比べるか?
デジタル・カメラという「破壊的技術」に遭遇した、1995年段階での既存業界、すなわちコダックと富士フイルムを含むフィルム・カメラメーカー達は、その脅威をどう捉えていたのでしょう。前述『デジタルカメラ市場形成に関する調査研究報告書』(1997年)から再び引用します。

「デジタルカメラの場合は一番安いものでも2万円クラスと、”レンズ付きフィルム”に比べれば、遙かに高い。」

しかし、比べるべきは1千円もしない通称使い捨てカメラではなく、コンパクト・カメラ(フィルム)の筈でした。

(この項 続く)

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(19)

「破壊的技術」に気が付こうとしない人たち
デジタル時代の黎明を告げたカシオQV-10が発売されたのが1995年。カメラ業界は、デジタル・カメラをどう見ていたのでしょうか。

1997年発行の『デジタルカメラ市場形成に関する調査研究報告書』が残っています。日本オプトメカトロニクス協会編、いわば従来業界側の認識なわけです。引用します。

「現状では、銀塩フィルムが圧倒的に有利で、今のところは銀塩カメラにとってかわることはないようだが、」

その後、カメラ映像機器工業会の「銀塩カメラの総出荷」という年次統計には近年こうあります。
「銀塩カメラは、統計上の要件に満たなくなったことから、2008年1月をもって集計を終了した。」
数えられなくなった、というのです。『報告書』の1997年に3千6百万台あった国内出荷量は、その年をピークとして10年間でゼロになりました。そして、今年コダックが死に絶えました。

(この項 続く)

2012年12月4日火曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(18)

コダックDC40
114,800円、1995年 
コダックも富士フイルムも本気になれなかった
カシオや他の家電メーカーなどの参入に対しての、2社の対応は後手に回ります。

それは、他社の多くが4-8万円くらいの値付けをしたマーケットで、11万円(コダック)、80万円超(富士フイルム)の価格設定をしたことで分かります。

この分野で、2社は要素技術を持っていなかったということはなく、むしろパイオニアでした。しかし、銀塩フィルムの2大大手という立場にあり、その基幹ビジネスと敵対するような市場領域に対しては中途半端な立場を取ることになったのです。

(この項 続く)


2012年12月3日月曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(17)



フジックスDS-505A(89万円)
ニコンとの共同開発
家電メーカーの参入で市場形成
「カシオQV-10」を追って、デジタル・カメラに参入したメーカーとしては、セガ・エンタープライゼズ、リコー、NEC,ソニー、セイコー・エプソン、松下電器、三洋、シャープ、日立、東芝などがありました。

セガ・エンタープライゼズが3万円を切る最安値機種を発表して、他のメーカーは4万円から8万円当たりまでスペックにより価格ポジショニングをしました。

この時期、コダックが日本で追随発表したデジタル・カメラは「DC40」(1995年)で、114,800円の小売価格でした。また富士フィルムは翌1996年に、プロ用の「DS-500」 シリーズを80万円超の価格で売り出しています。

(この項 続く)

 

2012年12月2日日曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(16)

カシオQV-10, 1995年
コダック社がデジタル・カメラを発明した
デジタル・カメラを初めて開発したのは実はコダックで、80年代半ばには「プロフェッショナルデジタルカメラシステム」を販売しました。ただし、価格は一千万円近く、完全に業務用途でした。一方の雄、富士フイルムは1988年に「フジックスDS-1P」という試作機を発表しています。これも数百万円以上とされました。一般消費者向けとして受け入れられるような価格帯のデジタル・カメラはどこからも出て来ていませんでした。

1995年に至り、カシオ計算機が「カシオQV-10」を発表して6万5千円という価格で発売しました。その年はウィンドウズ95が発表されてパソコンの年間販売台数が700万台に達した年です。インターネットやEメールの普及などとあいまって、「カシオQV-10」はデジタル・カメラとして初めて本格的な販売台数をあげ、「デジタル・カメラ第2世代の始まり」と言われています。
 
(この項 続く)

2012年12月1日土曜日

破壊的技術とコダック倒産 「本当に使える戦略・使えない戦略」徹底講義(15)

クレイトン・クリステンセン
クレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』(伊豆原弓訳、翔泳社、2000年)で、「破壊的技術」というセオリーを示しました。

顧客の意見に耳を傾け、顧客が求める製品を増産し、改良するために新技術に投資したからこそ、市場の動向を注意深く調査し、システマティックに最も収益率の高そうなイノベーションに投資配分したからこそ、リーダーの地位を失ったのだ」

クリステンセンは、ハードディスクドライブの8から5,さらに3.5インチ規格への変遷の過程を事例として示しました。顧客満足を追求している、競争優位を有する大企業がそれゆえ敗退する、というセオリーは衝撃的な知見だったわけです。

私は2012年1月に「コダック倒産ーイノベーションのジレンマの呪い」というブログ記事で同セオリーとの関連を指摘しました。
http://yamadaosamu.blogspot.jp/2012/01/blog-post_5866.html

コダック倒産のケースをもう一度振り返ってみます。

(この項 続く)