2014年6月29日日曜日

青森市へ講演旅行

青森市へ講演旅行。
「成功する戦略と組織の立て方、作り方」というタイトルで、30名ほどの経営者の方たちにお話しをした。

1泊して、翌朝はもう一つ企業指導をこなした。時間があり、私としては珍しく、市内を案内して貰った。

棟方志功が当地の出身とは知らなかった。棟方志功記念美術館を短時間訪れた。展示品の数は多いとは言えないが、何と言っても志功である。眼福を楽しんだ。

驚異だったのは、三内丸山遺跡。ここ20年ほどの出土、発掘だそうで、学校時代に学ぶことはなく、これは全くの初見。縄文時代だというのに、巨大構築物がいくつも復元され、そのスケールに圧倒された。

いつも講演では地方に出てもすぐに帰ってくることにしていたが、方針変更をした方が楽しい余生を送れるかも知れないと思った、青森訪問だった。

2014年6月27日金曜日

経常利益率13ポイントの改善は凄い!

株主総会の季節だ。

監査役(社外)として経営指導をしてきた会社の総会に出席した。

地方のメーカーで創業60年、社員200強。

昨年指導を初めて、まず「取締役会設置会社」になってもらった。その際、監査役に就任して、月2回の役員会に出席したその日は、その後に社長や役員、ある時は部長やマネジャーも種々面談や指導、研修を重ねてきた。

今週の株主総会で報告できたことは、
1.年商は1割伸びた。
2.3年連続赤字だったのが黒字転換(営業利益も、経常利益も)した。
3.前期、対売上げ経常利益率がマイナス8.5%(つまり結構な損失)だったのが、今期は4.5%(プラスである、念のため)となった。13ポイントも経常利益率が1年で改善した会社など、、、聞いたことがありますか?

この1年間、当社に何をやって貰ったのかまではここに書けないが、私も誇らしい。

2014年6月26日木曜日

経営者ブートキャンプ 特別講師が(4)

そこへいくと上坂さんは、月に1冊のペース(10万字)のペースで経営者の本を書いているという。肩書きは「ブックライター」だ。

特別講師としてのクラスで「経営者の横顔」として、取材して本をお出しになった何百人の中から、上坂さんの印象に残った20名ほどの経営者について話してくれた。

いずれも著名な、私たち経営者なら誰でも知っていて、顕著な業績を挙げた経営者ばかりである。それらの方の中で、上坂さんが最大に敬してやまないのは冨山 和彦・(株)経営共創基盤CEOだそうだ。

光栄なことに、私も冨山CEOとは昔一度仕事させて貰ったことがあるし、同社関連の社長さんが経営者ブートキャンプ第8期には来てくれていた(現在は第9期)。

いずれにせよ、ブートキャンプはまたユニークな特別講師を、これ以上ない形でクラスに迎えることが出来た。クラスの皆さんの驚き(シークレット講師がクラス・テーマにダイレクトに関わって登場)と喜びはとても大きかった。そして、上坂さんを連れてきてくれた、井上和幸(経営者jp社長)さんがほくそ笑んだこと!いや、大喜びしていた。

(この項 終わり)

経営者ブートキャンプ 特別講師が(3)

左の方が、「知られざる大作家」上坂徹(うえさかとおる)氏だ。

経営者ブートキャンプのクラスで特別講義をして貰った。初めは、『魂の経営』(古森重隆富士フイルム会長、東洋経済新報社)をクラス討議したセッションで解説者として登壇して貰った。

いやはや、上坂さん以上の解説者としては、古森会長ご自身を引っ張ってくるしかない。そして、古森経営セオリーの解説者としては、ご本人の古森会長より上坂さんの方が優れている。つまり、整理して再提出しているからだ。

経営者と経営本って、そういう性質がある。つまり、いかに豪腕を奮って素晴らしい業績を出した経営者だとしても、それを一般に理解できる汎用的なセオリーとして解説できるヒトは少ない、というかほとんどいないということだ。 

ほとんどの経営者は実は本なんか書けないし、書けたとしても自社自分の例をただ一つ、体験談として自慢話しとしてしか書けやしない。そこへいくと上坂さんは、、、

(この項 後一回)

2014年6月24日火曜日

私が予言 新浪剛史ローソン会長、サントリーHD社長に就任へ 

サントリーは新浪剛史ローソン現会長を新社長に迎えることを発表した。新浪氏は10月に着任する。
ローソン新浪会長、サントリー社長に

私は当ブログでこの動きを予告していた。2014年4月22日。
ローソン新浪氏 会長就任を深読みすると(1)

一部を抜粋しておくと、
「新浪氏がこのタイミングで同年代の新社長に現場の旗振りを譲るコトについて、私は「次の転身」を前から考えていたのではないかと思う。そのために周到に玉塚氏を引き上げてきたと見ることができる。というのは、、、」
(略)
「今年か、遅くとも来年には新浪氏には新しいタイトルが付くことを予言しておく。」

「可能性がある」ではなく、「予言しておく」と私は言った。


2014年6月23日月曜日

経営者ブートキャンプ 特別講師が(2)

経営者ブートキャンプに現れた「シークレット講師」は、上坂徹(うえさかとおる)さん、知る人ぞ知る著名人である。

上坂さんはブックライターで、『魂の経営』の編集協力をなさった。というか、古森富士フイルム会長に長時間インタビューなさって、原稿をまとめられた方だ。つまり、古森経営をご本人に代わって説明出来る最高権威の方だ。もしかしたら、内容を整理したという点で、ご本人よりご本人の経営に詳しいかも知れない。そして、もしかしてご本人よりご本人のことを理解されたかも知れない。

上坂さんのようなお仕事を重ねてくると、そんな状態にまで昇華されていると見た。

上坂さんを迎えたクラスでは、、、

(この項 続く)


2014年6月22日日曜日

経営者ブートキャンプ 特別講師が(1)

経営者ブートキャンプの今期第3講が6月21日(土)に。いつも10時から17:30までの1日がいくつかのセッションに分けられ進行する。

この日は14:00から課題図書の報告と討議を行った。前回、第2講で『魂の経営』の第1章と第2章を取り上げ、この日は第3章と第4章を討議した。

第5章はクラスで取り上げない。学びのある部分を集中して読んで貰う。2回に渡って取り上げるときもあるし、1回だけの本もある。

各報告者は通常20分報告、20分クラス討議をリードする。この日はしかし、討議の部分を30分と長くした。そして、クラスが始まるときに、この日の特別講師を紹介した。参加者にとっては突然現れた「シークレット講師」である。その人とは、、

(この項 続く)


2014年6月20日金曜日

コンサル軍団は頭がいい

コンサルタントのグループに「戦略カード」を使っての「戦略策定法1日セミナー」を3回、3日間が終わった。

疲れたけれど充実感のあるセミナーとなった。つまり、教え甲斐があった。さすがコンサル軍団、頭がいいんだね。皆さん理解が早いし、事前課題もしっかりやって来てくれた。

『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ』(拙著、ぱる出版)により、「戦略カード」で事前に各自の戦略を策定してきて欲しい、としたら、皆さん充実した戦略を用意してきてくれた。だから、グループ討議がとても盛り上がっていた。結果、参加者側の満足度、達成感も高く、教える側としても手応えのあるセミナーとなった。

グループ討議を持ち帰り、「戦略カード」を見直して、「発表用パワーポイント・ファイル」に仕上げて提出することを事後課題とした。よい成果物が得られ、かつ戦略策定技法が獲得できることと思う。

2014年6月18日水曜日

コンサル軍団に戦略カードを教える

コンサルタントのグループから、「戦略カード」の使い方を伝授して欲しい、との依頼を受け、本日からセミナーを連続している。

経営戦略を実際に立てて貰う演習を含むので、20名限定としたところ、「とりあえず」3日間、計60名を教えている。

事前に拙著『本当に使える戦略の立て方 5つのステップ』(ぱる出版)と戦略カードを配布し、当日までに経営戦略を立ててきて貰い、それをグループワークで磨き上げる。もちろん、半分は座学で立案技法もたたき込む。

私が開発した「課題解決型の経営戦略立案法」(別名「戦略カードとシナリオ・ライティング」)が普及し始めていることを実感している。コンサル業界、そして経営者の間での標準的な経営技法とまでなってほしい。

2014年6月17日火曜日

本を書く (30) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 

実は吉岡先生も源氏がご専門で、松尾先生のお弟子だった。私の正式の指導教授のお二人は源氏物語が専門でいらした。
 
私淑していた大野晋先生は言わずと知れた古代国語学の擡頭でいらっしゃったが、大野先生も源氏について本を著している。『源氏物語』(岩波現代文庫、原典は1984年)だ。
 
そしてそれに解説を寄せているのが、何と奇遇なことに、丸谷才一だ。この拙ブログの「本を書く」シリーズは、(12)から「丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎」と副題を付けて進行してきた。2014年3月4日の(13)で私は丸谷才一の『文章読本』を取り上げ、その解説を大野晋先生が書いていることが二人の最初の文学的な出会いだろうと言った。
https://www.blogger.com/blogger.g?blogID=1048986287515383300#editor/target=post;postID=2901314027975766160;onPublishedMenu=posts;onClosedMenu=posts;postNum=92;src=link
1980年のことである。一方、大野先生の『源氏物語』への丸谷解説は、岩波現代文庫版へのものに書かれたのだろう。2008年刊である。そう思われるのは、、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)

2014年6月14日土曜日

本を書く (29) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 

松尾聡先生のお訳はというと、流麗な文章、これに勝るものはない。幾多の小説家、つまり文章のプロ中のプロの源氏訳より華麗な流れが先生の訳出にはあった。
 
私の専攻は『伊勢物語』だったが、『新註伊勢物語』(松尾聡、武蔵野書院、もちろん絶版)で各章段ごとの先生のお訳にはうっとりと感心して、読みふけってしまったものである。
 
三島由紀夫は、先生について次の一文を寄せている。
「松尾先生には学習院で、国文法や万葉集などを教わった。実に散文的な講義で、やわらかい少年の感受性に訴えるものは一つもなく、少年の頭で考えると、全然不文学的な講義に思えた。その上、先生は点が辛く、皮肉屋でイジワルだった。そうかと云って、先生は人気がないというのではなかった。お茶坊主的教師に却って人気がなく、一部偏クツな学生は、ますます松尾先生の肩を持った。どういうわけか、先生の渾名をポンタと云った。この芸者みたいな渾名と、先生の学究的風格とは、全然合わないようでいて、どこか先生のとぼけた一面をあらわしているところが面白い。先生の逐条主義的な講義は、あとになってみると、いわゆる文学的感受性に訴える情緒的講義よりも、はるかに実になっているのがふしぎである。先生のは、古典を自分で読む力を鍛える講義だった。従ってスパルタ的で無味乾燥であるが、西欧の大学のラテン語やギリシア語の講義だって、入門の段階ではもっと無味乾燥であろうから、その段階で日本の古典が嫌いになる奴は嫌いになればいいのである。」
—三島由紀夫「松尾先生のこと」(松尾聰『全釈源氏物語』付録2 1959年より)
 
三島由紀夫はもちろん生来の大才能だった訳だが、中高と国語指導をしたのが松尾先生だったことは偶然で終わったわけではないだろう。私が直接言葉を交わさせて貰った知識人で一番文章が上手い方だったのではないか。
この松尾先生は、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)

2014年6月13日金曜日

本を書く (28) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 

松尾聡先生は、学習院大学国文科の教授で源氏物語がご専門だった。三島由紀夫が学習院中等科、高等科時代の恩師だった。
 
松尾先生が三島を悼んだ文章で、
「君が出した作文を添削しようとすると僕はいつも絶望的な気分にさせられた」
と書かれていたのを覚えている(これは引用でなく、私の記憶による大意だ)。
故松尾先生が私の学習院時代の正式な指導教授だった。学部時代は前に書いた吉岡 曠先生が指導教授だった。しかし、修士に進んだ時、吉岡先生は助教授だったので規定により、院生の指導教授にはなれなかった。平安文学の教授でいらした松尾先生が私を担当してくれた。ちなみに大野晋先生は、国文科学部入学時のクラス担任だった。

松尾先生は研究書はもとより高校生向けの参考書までの本当に多くの著作があった。『源氏物語 全釈』(筑摩書房、1961)という晩年のライフワークがあり、6巻まで出されたところで業を終わられないまま、帰らぬ人となった。

先生のお訳はというと、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)

2014年6月12日木曜日

株主総会の季節がやってきた!

6月は多くの会社で株主総会が開かれる。3月決算で〆った今期の業績を報告、株主からの審判を受ける。

私が指導しているいくつかの会社は、幸い軒並み今期の業績が伸張しているか、回復した。

中には、対売上げ経常利益率が前期のー8%から今期+4.5%と、世の中で余り見受けられないほどの回復を遂げた会社もある。「企業再生経営者」と現役時代言ってもらった私が指導した甲斐があったと思う。

来週と再来週はこれら指導先の株主総会に出席したり、業績発表の指導、場合によっては想定問答を作って辛口株主からの仮想質問を社長と練習問答をする。地方周りも入り、待ったなしの恐ろしく飛び回る2週間となる。

2014年6月10日火曜日

『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』カレン・ファラン(書評199-2)

著者のカレン・ファラン女史は、MITのMBAで、デロイトやジェミニなど大手でコンサルタントを勤めた。その後、ファイザーやジョンソン&ジョンソンなどの事業会社、つまりクライアント側のマネジャーでもあった。

コンサルの手法に大いに疑問を投げかけたのが本書であるが、現職はLexisNexis Risk Solutions社というコンサル会社で戦略担当のシニア・ディレクターである。本書も手の込んだコンサルタントの売り込み本と読むべきだろうか。

内容としては、彼女がコンサルトしては上手くのし上がって来れなかった来歴やプロジェクトを語り、その多くの原因を経営セオリーや、先輩コンサルが開発してきた改善技法の欠陥に帰している。

しかし、そういう面もあるのだろうが、筆致がどうも仕事を上手くこなせなかったビジネスパーソンがこぼしそうな愚痴にも聞こえて、彼女のパフォーマンス不足の原因がすっきりと納得がいかない。つまり、個人的な問題を一般論に差し替えて自己弁護しているような、、、

経営セオリーやコンサル技法についての限界や無用性、法外なフィーに関しての彼女の指摘には同感だが、どうも彼女自身にはあまり同感できない読後感だった。

そうそう、DeNa社創業者の南場智子さんが、マッキンゼーのコンサル上がりだったが、彼女も昨年刊『不格好経営』(日本経済新聞出版社)で
「コンサル時代の知識、経験など実経営には何の役にも立たなかった」
「昔のクライアントにあったら土下座して謝りたい」
としていたのを思い出した。

(この項 終わり)

2014年6月9日月曜日

『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』カレン・ファラン(書評199-1)

大和書房、新刊。3月末に出て、5月には5刷りだとあるので、売れているのだろう。経営コンサル、特に戦略ブティックと言われているところに毟り取られてきた事業会社側の読者に読まれているのではないか。

経営コンサルへの悪口の本はよく売れる。私の昨年著『本当に使える経営戦略・使えない経営戦略』(ぱる出版)もお陰でおおいに出た。

私の昨年著は、経営コンサルに対してクライアント側から、あるいは経営実務者としての視点からの批判だった。今回『申し訳ない、、』の著者は、経営コンサルタントだった方だ。いわば懺悔の本ということで
「やはり」
として受け止められる。

著者は、、、

(この項 続く)

2014年6月8日日曜日

本を書く (27) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 

『源氏物語』の魅力に憑かれて現代語訳を世に問うた小説家は少なくなく、与謝野晶子から始まり、谷崎三訳の他に次の方たちによる現代語訳が刊行されている。
円地文子
田辺聖子
橋本治
瀬戸内寂聴
大塚ひかり

学者による注釈書も当たり前だが多数有る。明治以降の注釈書には訳も載っているので、これも源氏の現代語訳と見ることができる。段落ごとにぶつ切りに訳出されてはいるけれど。
窪田空穂
今泉忠義
玉上琢弥
などが代表的か。学者の分類に入るか知らないが、林望氏も訳出している。美味しいかどうか。
 
訳出の文章の美しさというと、知られていないが実は松尾聡先生のものがとてもよい。松尾聡先生は、、、
(この項 続く、 しかし飛び飛び)

2014年6月7日土曜日

本を書く (26) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 (書評198)

大野晋先生が、クラスで話されたことは
「谷崎源氏は、新訳、新々訳と3つありますが、新訳が一番いい」
と。

それで私は『新訳谷崎源氏』を研究室から借り出して読破した。同訳についての感想は、しかし思い出の彼方だ。なにしろ半世紀前の読書だし、原典の『源氏物語』の印象の方だけ残っている有様である。

しかし、当時定番であった岩波日本古典文学大系での活字による『源氏物語』でも全54帖読破するのに多大な時間を要する大古典である(私も平安文学専攻の端くれ、こちらも読んだ)。大谷崎が自分の文業をなげうって3度も現代語に訳出した。そしてあの大碩学の大野晋先生は、厳しい学究生活の合間にそれを3つながらに読んで、評を述べられた。

これらは皆、『源氏物語』の魅力、昭和に生きた大文豪や大学者、そして不肖私をもとらえて放さない、代えることの出来ない魅力の大きさを示している。実際、『源氏物語』の魅力に憑かれて現代語訳を世に問うた小説家は少なくなく、、、


(この項 続く、 しかし飛び飛び)

2014年6月6日金曜日

本を書く (25) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 (書評197)

「谷崎・文章読本」には、既にして肯んじるべき優れた指摘が幾つもある。例えば冒頭では
「最も実用的なものが、最もすぐれた文章であります」
と喝破している。分かりやすく書け、ということだ。「異を立てるな」とも。

作文を難しく考える向きには
「日本語には明確な文法がありませんから、それを習得することは甚だ困難」
と、突き放し目を洗わせている。

「できるだけ多く(良い文章を)読むこと」
は、まあ「それしかないのかな」と私も思う。

「饒舌を慎み」「剰りはっきりさせようとせぬこと」と、『陰影礼賛』の著者らしいことも谷崎は指摘している。それらの主張は、前述の「分かりやすさ」と矛盾するように聞こえる。しかし「分かりやすく」としたのは私山田が書き加えた解説なので、谷崎主張は「実用的な中で、剰りはっきりさせようとせぬこと」と繋がるのだろう。

そんなことは難しいことではないか?と思われる読者もいるだろう。そう、文章を書くということは難しいのだ。

そんな大谷崎、私に言わせるところの日本文学史上で三大天才である大谷崎が『源氏物語』を三度も現代語訳している。それについて大野晋先生が、私が出ていたクラスで話されたことは、、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)


2014年6月5日木曜日

本を書く (24) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 (書評197)

そこへ行くと、「谷崎・文章読本」は、読みやすい。長すぎない。難解なトピックに踏みいることが少ない、特に「丸谷・文章読本」に比して。

まあ、谷崎後に「文章読本」を名乗る書が幾つも出たが、いずれの著者も、最先行した谷崎のモノが一番優れているので、プレッシャーを受けたことだろう、奇をてらったことを言おうとしたり、細かなことを指摘しようとしてしまった。

その点「谷崎・文章読本」は最先発だったので、先例書などに拘ることなく、悠々と自説を展開した。結果、既にして肯んじるべき優れた指摘が幾つもある。例えば、、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)


2014年6月4日水曜日

孫正義と柳井正 (16) 孫正義は狩猟民族経営


●狩猟民族経営

 孫氏のこのようなビジネス展開の手法、そしてそれを裏付けている経営哲学は、華僑華人の経営者のそれらと、とても似ています。筆者は以前、香港証券取引所に上場している華僑の会社の日本法人社長を4年ほど務めていた際によく観察する機会がありましたので、つくづくそう思います。

 中国系企業家の特徴は、「関係(ガンシー)」ということを何よりも重視して、ビジネス機会があれば決してそれを逃さない、というところにあります。BtoBであろうがBtoCであろうが構わず進出していった結果、事業会社には共通性が見られない不整合なコングロマリットとして巨大化していくモデルです。

 柳井氏がソフトバンクの社外取締役に就任して、その役員会に出席した感想を次のように述べています。

「役員会でも百億円単位の話をすると、みんなが『小さい話だ』と言って、一千億円という金額でも『たいしたことないな』と言うんです。単位が僕らの感覚とかなり違う。それは孫さん自身がそれまで投資家の面があったからでしょう。株式市場から資金を調達して事業を拡大していくんですね。(略)普通の会社ではとてもそこまでリスクはとれない」(「企業家倶楽部」<07年4月号>より)

 柳井氏のこのコメントは、柳井氏と孫氏の経営の違いを象徴的に表しているように私には思えます。前回記事『ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り』で、筆者は柳井氏の経営を「農耕民族経営」と表しました。それに対し孫氏のそれは「狩猟民族経営」といえます。
 日本を代表する2人の名経営者は、とても対照的な経営アプローチをみせています。

(この項 続く)

2014年6月3日火曜日

孫正義と柳井正 (15) 孫正義は狩猟民族経営


このように孫氏が事業を発展してきた経緯を振り返ってみると、「辺り構わず」ともいえるビジネス・ドメインの展開ぶりです。

なにしろ、製造業から流通業へ移って初期の業容拡大を成した後は、展示会運営会社であるコムデックスや出版会社を買収しては売却したり、金融事業からエネルギー事業までに参入したりと、基軸といえる事業の軸足を大きく動かしてきています。その放散ぶりは「しっちゃか、めっちゃか」とまで形容できるのではないかと思ってしまいます。

「大きくなれればなんでもいい」
 これが実は孫氏という経営者の正体なのではないかと筆者は思っています。これは別に悪いことではなく、むしろ感心します。成長可能性の大きい事業領域にある特殊な境遇の会社に大胆に手を出すことによって、自らの事業全体の成長を加速していく、そういうことに関して恐ろしく嗅覚が鋭く、かつ果断に突っ込んでいくことのできる稀代の事業家なのです。

(この項 続く)

2014年6月2日月曜日

孫正義と柳井正 (14) 孫正義は狩猟民族経営


実は最初から通信業界の覇者を狙っていたわけではありません。起業してからのソフトバンクの発展の経緯を見ると、次のような大きなイベントがありました。

 ・95年:展示会運営会社コムデックス買収
 ・96年:米国ヤフーに出資
 ・同:テレビ朝日株を購入
 ・98年:出版業ソフトバンク・パブリッシング設立
 ・99年:証券取引所ナスダック・ジャパン設立
 ・00年:日本債券信用銀行(現・あおぞら銀行)の筆頭株主


ソフトバンクが通信業に本業の軸足を移したのは、01年にヤフー(日本)と共同でADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始して以来のことにすぎません。いや、それ以降も福岡ダイエーホークスを買収したり、東日本大震災を契機にエネルギー事業である風力発電事業へ参入したり、「当たるを幸い」といった勢いで業容を展開しています。


(この項 続く)

2014年6月1日日曜日

孫正義と柳井正 (13) 孫正義は狩猟民族経営


筆者は1980年代の終わりに、とあるパソコンとソフトの販売会社で営業責任者をしていましたが、当時、ビジネス向けソフトウェアに関してはソフトバンクの前身である日本ソフトバンクが最大の購入先でした。

ソフトバンクはソフトウェアの分野では日本における最大の卸業者だったのです。孫氏は重病を患って死線をさまよい入院していた時期で、筆者の在任3年間に現場に出てくることはありませんでした。

 そもそもこの一代の風雲児が米カリフォルニア大学バークレー校留学時代にベンチャーとして起業したのが、電子翻訳機でした。ですから孫氏は小なりとも製造業者としてそのビジネス人生をスタートさせたのです。

事業家としての孫正義の真骨頂は、その電子翻訳機の開発・製造のために、自分の恩師であった同校教授を社員として雇い入れてしまったこと、そしてこの翻訳機を自社だけで販売しようとしないで、一面識もないシャープに押しかけてデモを披露した揚げ句、その権利を1億円で売却したということでしょう。「一学生の行動としては」と嘆声を上げざるを得ません。

(この項 続く)