2012年12月13日木曜日

技術者の発想を考える (2) 日本原子力学会誌




しかし、小林が内包した「性善説」は言うまでもなく虚構、夢幻の話なわけだ。世界は悪意に満ちている。

対談が対象とした核爆弾技術に限っても、その技術を世界流布しようとした狂気としか思えないパキスタン科学者がいたし、世界の武器商人は取り扱う商品が核であろうが非核であろうが、考えることは経済合理性だけであり、さらに言えばそれが非合法であることなど意に介さない。あるいは、西側先進国がテロとして位置づけている諸勢力も、その主張の実現やキリスト教文化圏への対抗のために「正義」として核爆弾の入手を画策する。

小林が主張する「ぼくらの道義心」とは、つまり相対的なモノであり、自己満足なモノでしかないのだ。つまり不完全であり続ける。そうだとしたら「それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない」とする小林の発言は、「技術に対抗する力は無いのだ」という文章に置き換わる。
 
(この項 続く)

0 件のコメント:

コメントを投稿