2012年3月13日火曜日

3月11日が帰ってきた(3)

阪神大震災は1995年のことだったから、もう17年になろうとしている。あの時は私は最大顧客だったセガ(現セガサミー)の大新年会で都心のホテルにいた。
大前研一氏の講演がキャンセルされ、「関西の地震のために新幹線が、、」という説明があった。やがてあの大震災が報じられてきた。

阪神大震災の時に強く感じたのは「無常」だった。同じ大都会に働いていて、関東では大ホテルで大宴会に興じていた。神戸では地獄が起きていた。

昨年の東北大震災で感じたことは、それでは「生かされている」という思いだ。あれだけの広い範囲で起こった大震災、そこに住んでいなかった、訪れていなかったというただの偶然。追いかけてきた原発事故。今になって報じられてきた当日のメルトダウン、、。首都圏が崩壊しても不思議ではない成り行きがあった。

計画停電が要請されるなどしたあの2週間、身構えて過ごしたが、我が家の地域には幸い何もなかった。
しかし、東北や原発近隣で暮らしていた皆さんの状況と、あまりなその多数を見るに付け、自分の周りの人たちの無事は一重に幸運でしかない、僥倖なのだということを知った。
「生かされている」という認識、それは私を謙虚にした。慎むということを少し知ったと思う。この思いはたぶん続いていくのだろう。

(この項 終わり)

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