62年に鉄鋼団地の募集があったとき、いきなり4コマ分として1600坪の申し込みをして同業者を驚かせた。それまでの規模の10倍以上を申請したからだ。
この勝負が見事に成功した松田氏は、10年後の同団地第2期募集ではさらに1800坪を買い増し、第2工場を竣工するに至っている。75年に現社名とした。
第1工場はガス溶断を主業務としていたが、第2工場は折り曲げ、ロールを増設して加工専門の工場として発足した。折り曲げロール加工に進出したことが、同社の発展を今に至るまで支えた英断といっていい。
2代目社長だった松田中氏(創業者の甥)を挟んで、松田学氏が現在の3代目社長に就任したのは2008年。学氏は創業者の長男で、そのとき50歳、満を持しての登板だった。今回は松田学社長に話をうかがった。
(この項 続く)
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