2014年1月30日木曜日

グーグルがモトローラを売却、2年前の予想通り

グーグルがモトローラをレノボに売却した。

125億ドルで買収したのを、2年も立たずに29億ドルで手放す、と。企業価値を8割近くも滅損しての大失敗だ。

2年前の買収の際に私はこのブログに記事を書いた。自慢していいかも知れぬ、そのタイトルは

グーグルのモトローラ買収は大失敗に終わるだろう

http://yamadaosamu.blogspot.jp/2011/08/blog-post_16.html
ものつくりは全く違う業態だ。そして、異なる業態であるモトローラをてこ入れするために、グーグルはマーケット(ネットやIT業界)に対してのニュートラルな地位を失うだろう。少なくとも、モトローラと同業態の製造業からは距離を置かれる。1兆円もかけてグーグルは火種を自らに取り込んだ。モトローラ買収は、グーグルの没落の始まりとして後世理解されるだろう。 (一部抜粋)

などと。モトローラの売却で、グーグルは没落の火種を消せたのだろうか。興味深い。
 
グーグル、モトローラを中国レボノに売却(CNN)

2014年1月29日水曜日

経営戦略1日立案セミナー

 
左記標題の1日セミナーを実施。
10時から18時まで、終日びっしり。

戦略カードを使って、駆け足かつ小規模に各自の経営戦略を策定して貰う。ステップごとにセオリー解説を加える形で進行。

最後は小グループに分かれて、一人1時間ずつ創った経営戦略を発表して貰う。私及びグループ講師のファシリテートにより、発表者以外も盛んにアドバイスを浴びせていた。これを交代で行う。

私が志向指導するMutual (Learning) Methodが発動し、発表する方も聞く方も学ぶ。そして重要な事だが、その到達度は私が一方的に教授するセッションよりずいぶん高い。

結果、参加者の満足度は極大化し、参加アンケートでは全員からフルマーク(満足度満点)をもらった。私自身も充実感に包まれた1日となった。

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (6)

 
伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

引用:

伊藤:そんな社内の不安を取り除くために、信頼関係を築くことが、とても大切でした。といっても、大層なことができるわけもなかったのですが。ただ、社内の掃除は率先して取り組みましたし、社員とのコミュニケーションには気を配りました。ちょっとした会話を、日常的にどんどん交わすんです。

― 赤字会社が黒字転化を図る場合は、人件費の削減が真っ先に検討されると思いますが。
伊藤:経営のプロからもよく言われました。でも私は絶対に、社員を切りたくなかったんです。前任者が一度、そのようなリストラを行っていましたが、それで業績はよくならなかったし、それどころが社内の士気がさらに落ちたからです。だったら、違う方策を探るべきだと思いました。(略)
 
 そこで、業績に関わる数字を全部、社員全員に開示することにしました。

― 全部ですか。
伊藤:現在の売り上げから経費、粗利、赤字にいたるまで洗いざらい公表しました。みんなショックを受けていましたね。


引用終わり
(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1
そして「社内コミュニケーション」だ。いずれ著書が出ると思うが、身近な規模の企業再生譚として、そして教科書のような事例の本となるだろう。楽しみである。
(この項 終わり)

2014年1月28日火曜日

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (5)

 
伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

引用:
伊藤:まず、経営者としての自分に与えた課題は「選択と集中」です。
(略)
 社内には電気めっきや、真空状態で表面処理を行うイオンプレーティングのほかに、溶射(表面処理の一種)といった部門がありました。溶射はめっきとは違う技術で、かつてはめっきよりも業績がよかったのですが、私が入社してから、売り上げがどんどん下がっていく。(略)
 溶射部門で最新の設備を持っている会社を社員と一緒に視察しましたが、それを見て、当社は今後、この分野においてトップには立てないと思いました。そこで、思いきって業務からはずしたんです。

ー スムーズに行きましたか。
伊藤:この部門は、設備投資を行っていたし、時代の先端を行っているような、華やかなところなんです。当然、働く社員も自負を持っています。でも、数字を見ると、イメージと現実が違うことが、よく分かります。そんな部門を閉鎖していくことは、やはり精神的にきつかったですね。

― 「選択と集中」が正しいとは思っても、論理と人の気持ちは、なかなか一致しませんものね。
伊藤:ただ、資金的にも人員的にも余裕がないのですから、広い分野で勝負をかけるより身の丈にあった方法で改善した方がベターだ、ということは、私の中では納得が行っていました。得意のめっき分野に力を入れ、そこを伸ばすことで業績改善を目指そうとしたんです。

引用終わり
(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1
再生経営者として伊藤氏は全く正しい「勝てる」戦略を選択実践した。素晴らしい。
さらに、、

(この項 あと1回)

2014年1月27日月曜日

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (4)

 
伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

引用:
伊藤
(略)個人保証をしたわけですから、その重さはやっぱり大変なものでした。
 先日、ちょっと時間があって友達とランチをしたんですけど、みんな年齢的なこともあって、心配性になっているんですよ。「何でそんなにいろいろ心配するの?」と私が聞いたら、「麻美に悩みはないの?」と突っ込まれたので、「私にとっては、生きるか死ぬか以外は悩みじゃないよ」と答えたんです。そうしたら、けっこう驚かれました(笑)。

― 普通は体験することがない修羅場を潜って、覚悟を決められたんですね。
 
伊藤:確かにそうですよね。学生時代は「楽しいぜ!」みたいなノリもおおいにあったのですが(笑)。修羅場を乗り越えた後というのは、人間、本当に強くなるもんだなあ~、と思います。
 修羅場は経験しないで済むならそれでいいと思いますが、私は大変な壁にぶち当たるたびに、「ああ、自分ってこういう考え方をするんだ」と自己発見がありましたし、仕事をしていく女性として、守らないといけないことも意識できるようになりました。苦しい場面にさらされながら、自分というものの形が整ってきているような気はします。

引用終わり
(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1
修羅場体験とそれがもたらす、経営者としての覚醒が伊藤氏事例に典型的までに現れている。
さらに、、

(この項 続く)

2014年1月26日日曜日

人工知能が人間に追いつくのは2040年(2)

レイ・カーツワイル(アメリカのIT発明家)は、近著『シンギュラリティは近い』(NHK出版)の中で、この問題について
「シンギュラリティが2040-50に起こる」
としたそうだ(Hさんによる)。

シンギュラリティとは、技術的特異点で、その時点から異次元的に技術開発が加速する。

自分で判断し、人間の仕事の大きな部分を奪ってしまうかも知れない近未来ITとアンドロイドの世界?Hさんによればそれは起こりうる、というのだ。
「この惑星にヒトが居なくなっても、歴史の時間枠から見れば別に異例のことでもない」
とは、別の会員の発言。

映画ターミネータの世界が現出するのか、鉄腕アトムのような「良いロボット」に助けてもらえる世界となるのか。2040年まで生存して見届けられるのだろうか。

(この項 終わり)

2014年1月25日土曜日

人工知能が人間に追いつくのは2040年(1)

1月25日の例会は、大手会社で原子力事業部長だったH氏がスピーカー。

テーマは第1線のサイエンティストであるHさんにふさわしいユニークなモノだった。

1.コンピューターの演算速度は、人間の脳のそれに近づきつつある。

2.脳の判断機能と同様なアルゴリズム(プログラムの集積)が準備されれば、脳細胞間の信号伝達が化学的に成されているのに比べ、電気的な方がずっと早くなる。

3.囲碁ではすでにプロの棋士を凌駕してしまった。将棋も時間の問題。

4.脳の記憶容量は、電子的には既に部屋に収まるメモリー機器で実現できている。

専門家は2040-50年には、、

(この項 続く)
男の周辺から同じ成分の農薬が検出された

2014年1月24日金曜日

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (3)

 
伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

伊藤 会社がここでつぶれたら、子どもの進学とか、家のローンとか、みんなどうするんだろう? 私たちが会議で安易に下す結論によって、さまざまな人生が狂いかねない……そこから、コトの重大さがだんだん身に染みてきたんですね。
(略)

伊藤:そういうことを思い知る中で、自分の中に義憤が湧き上がってきて。それまで何も知らないで来たけれど、私はみんなが働いてくれているこの会社と、両親に育てられたんだ。その私が行動しなくていいのかっ、と。

 会社に恩返しするのは今しかない、と心を決めて、弁護士さんに相談に行ったんです。弁護士さんに最初に聞いたのは、自己破産のことです。分からないところを何度も何度も聞いて、分かったのは、「32歳で自己破産をしても、命まではなくならない」ということでした。それで、エイッ、と踏み切ったのです。」

(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1

私がいつも経営者に指摘する、「覚悟と責任」がここにある。危機に当たって、それらが短期間で醸成された。その危機の前には無かった。

(この項 続く)

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (2)

伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

伊藤:まず後継者の資質の問題。後継の社長は父の敷いた路線を踏襲しないで、自分流の経営を進めたのですが、世の中で起きている経営環境の変化を理解していなかったんです。
 昭和の高度成長時代は、時計のめっきを一手に引き受けていて、それが利益を生み出していましたが、90年代以降、国内の時計市場はもう成熟していて、後は下がる一方でした。携帯電話やコンピュータ機器など、新しい市場を開拓しなければならなかったのに、そういうことに取り組んでいませんでした。

インタビュア:昔、好調だった分野の上にあぐらをかく。ありがちですね。
 
伊藤:新市場の開拓どころか、必要のない工場を新設したりするなど、素人の私から見ても、腑に落ちないことだらけでした。」

(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1

これはつまり、「成功の復讐」ですね。経験の長さだけを誇っている、適応できない幹部。そこに入った若手社長、伊藤氏。企業再生の苦闘が読み取れる。

(この項 続く)

2014年1月23日木曜日

「本物の社長を連れてこい」と言われた日 (1)

伊藤麻美氏は、世界的にも有数のめっき技術を持つ日本電鍍工業社の社長。

日経ビジネスオンライン2月23日に興味深いインタビューが載っている。

「カリフォルニアにいたある日、日本から突然電話があって「会社が危ない。日本の家を売らないとだめだから、引っ越しのために帰ってきて」って。
(略)
「これは再起不能かも……」と言葉を失うほど、事態は深刻でした。」

若くして経営の経験もないまま、突然経営承継をしなければならなかった。業績も財務も絶不調だった。

「どこでスイッチが変わったのですか。
伊藤:社員の顔が見えるようになってからです。」

(原記事)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140117/258429/?P=1

(この項 続く)

2014年1月21日火曜日

先週のインタビュー 写真

先週受けたインタビューの時の写真を1つメールいただいた。

インタビュアー 沖中幸太郎氏。グーグル+での同氏の自己紹介文。
「インタビュアーの沖中幸太郎です。新聞社勤務を経て、今までインタビューを通じ1000人以上の方よりお話を伺ってきました。現在専属でやっている作家インタビューでは、約400名の著作家、編集者の方にお話を伺い、ご登場頂いています。「人生がそういう事であるのなら挑戦してみよう」好奇心が原動力です。」
 
セットしていただいたのは、カフェの街吉祥寺でも評判のラバン・アジル。とても快適な空間で落ち着いて話し込めた。

2014年1月20日月曜日

本を書く (6)

本を書く経緯?

私の場合は、、

分かりやすく言うと「排泄欲」と感じている。

何か特異な体験を通り越して一段落したり、何かのこと(テーマとなる)で思いが積み重なってきた、、。

そんなことをまとめておきたくなる、吐き出しておきたくなる、というのがきっかけだ。

だから私の処女作は、37才の時1987年のことだったが、、

(この項 続く、しかし飛び飛び)
小糸製作所、カルテルで罰金59億円

2014年1月19日日曜日

相手の土俵には乗らない そこでは戦わない(2)

でも重要な事は、、

その道数十年の経営者、幹部が「そのやり方」でこの会社を駄目にした、袋小路に入ってしまった、
ということだった。

途中参画の私がにわか勉強で、「その道30年」の業界プロの専門知識に叶うはずがない、追いつけるはずがない。しかし「違うやり方」「新しいやり方」を導入するということでは別業界から移ってきた者の方がよい。「別業界」を幾つも経験してきているなら更によい。

また異業種体験をさらに補強したり補足するのが、セオリーの学習ということである。有為転変としてきた私であるが、武器はいつも磨いてきたつもりだ。

(この項 終わり)

2014年1月18日土曜日

任天堂、大幅営業赤字 私の2年前の予想

 任天堂は17日、2014年3月期の連結業績予想を大幅下方修正した。純損益は250億円の赤字(従来予想は550億円の黒字)と、2期ぶりの赤字に転落する。主力の携帯ゲーム機「ニンテンドー3DS」や家庭用ゲーム機「Wii U(ウィーユー)」の販売不振が続き、利益率の高いゲームソフト販売も予想を下回った。営業損益も350億円の赤字(同1000億円の黒字)と3年連続の赤字を見込む。

 「Wii U」の販売予想は900万台から280万台、「ニンテンドー3DS」は1800万台から1350万台に下方修正した。売上高は5900億円と従来予想の3分の2に修正した。 

[時事通信社]

2011年10月28日の拙ブログには、
「任天堂 岩田聡社長 潮目の会見」
と題した。同社が1981年に業績開示を初めて以来、初の赤字決算見込みを発表したからである。 
http://yamadaosamu.blogspot.jp/2011/10/blog-post_28.html
1部を抜粋しておく。
「『大きな時代の、終わりの始まり』
と、私は感慨深い。(略)今回、任天堂のような専用ゲーム機の時代は終わりはじめた、と思う。時代はスマートフォンでのゲーム提供となっていくだろう。」

相手の土俵には乗らない そこでは戦わない(1)

昨日のインタビューで聞かれて思ったことの一つだ。

転職するたびにその業界の専門知識の専門学校へ行った。いつも異なる業界、業態へ転職したので、そのたびに異なる学校へ行って、専門知識を体系的にかつ本格的に仕入れた。

でも、ビジネス上ではそれらの専門知識で勝負したのでは、ない。というのはその会社にはもうその道20年、30年という大ベテランがいる。そんな人たちが必ずその会社の経営幹部なわけだ。どこの会社に行ってもそうだった、そうなのだ。

でも重要な事は、、

(この項 続く)

2014年1月17日金曜日

インタビューを受ける

本日はとある、本に関する紹介サイトのインタビューを受けた。

吉祥寺のカフェに出向いたら、カメラウーマンの方も来ていて、1時間強話しを聞かれた。

インタビュア(男性)の方は、しっかり準備してきてくれていて、私の最近著や旧著まで目を通してくれてきた。こういう対応は、とても好感が持てる。立花隆が、脳科学や宇宙開発について研究者に取材したとき、事前に最先端の学術論文を読み込んでいってぶつけると、そこで相手の応対ががらりと変わったそうだ。それは取材される立場になるととても良く理解できることだ。

拙著次作の話しもしたので、掲載(というかネットなのでアップ)は少し先になることとした。

NEC系社員 15億円着服か

本を書く (5)

編集者とどのくらい会う?

そんなに会うことはない。執筆の途中で何度も会って、構成などについて議論を重ねて次に進む、、、ようなことはない。

初めての出版社なら、企画についての説明で面談する。出版社側の企画でも、当方の持ち込み企画でも、それは必要だ。

出版が決定したら、構成案をもとに編集者と打ち合わせをする。後は、できあがった原稿を渡しながら説明する、そして出版されたらお祝い会をする。

この当たりが定番かと思う。

(この項 続く、しかし飛び飛び)

2014年1月16日木曜日

『なぜ新しい戦略はいつも行き詰まるのか?』清水勝彦 書評191(5)


清水教授の提言の第3はこうだ。
3.それらのアイデアの有用性は個々に「実験」して確かめて選んだものを「実践」すればいい。

実験?一体どうやってどう評価すればいいのか。どこの規模までが「実験」でどんなところを超えれば「実践」のレベルと捉えるのか?

そもそも時間的、プロジェクト的にどの程度の実験が許容されるのか?まあ、それは企業規模にもよるのだろうが、この本では「3年の間に5つの子会社展開をした場合」があるが、何と「それではとても足りない」としている!大部分の日本企業が単一事業の中小企業であることを顧みると、「一体どうすればいいんだ」とうめきたくなるような「提言」ではないか。

(この項 終わり)

2014年1月15日水曜日

『なぜ新しい戦略はいつも行き詰まるのか?』清水勝彦 書評191(4)

清水教授の提言の第2は、
2.だから企業は戦略アイデアを輩出する個人多数を養成奨励し、「アイデア・ポートフォリオ」を有することとする。

まあ、教授の提言もアイデアの一つで、ヒトのアイデアにケチを付けるのは簡単であり、慎みたいとも思う。しかし、会社で実経営をしてきた私には、このアイデアの実践のイメージがとても湧きにくい、つまり難しいことではないかと思う。

実践がとても難しいアイデアのことはよく「夢物語」などと言われるのだが、教授には具体的な実践のプログラムのところまで是非、次著などで示して貰いたいと望む。

(この項 続く)

2014年1月14日火曜日

ジャパネットたかた 高田社長を讃える

2013年初、高田社長は
「13年12月期に最高益を更新できなければ退任する」
と宣言した。

過去の最高益とは10年の136億円、その後11年、12年と70億円台だった。旧年初の宣言は、だから経常利益を倍増する、といった野心的なモノだった。

13年12月期では結局、最高益150億円を達成した見通し。高田社長は背水の陣を敷いて1年の間同社員を叱咤激励して達成したわけだ。有言実行、そして覚悟と責任の経営者ここにあり。素晴らしい。

ジャパネットたかたベア3%実施、業績好調を受けて

『なぜ新しい戦略はいつも行き詰まるのか?』清水勝彦 書評191(3)


清水教授の提言の骨格の第1「戦略はやってみなければ分からない。」

この指摘には別に反対ではない。しかし、その提出プロセスが貧弱だ。経営学の教授と言うことを考えるととても弱い。

というのは、そのことを主張するために特定の企業ケースをしっかり取り上げているわけでもなく、多くの企業事例を数値的に処理して傾向や法則を指摘しているわけでもない。

このように「論証」を割愛してテーゼを述べるのは、それはまず学術書ではないだろう。私がエッセー風に持論や自分が信じるところを披瀝するのと変わりはない。私の方がまだ実経営体験に裏打ちされている分だけまし、ということになってしまうだろう。

さて「経営戦略はやってみなければ分からない」という認識に立って、著者は
「組織内の個人に頼ろう」
と言い出すのだが、、

(この項 続く)

2014年1月13日月曜日

『なぜ新しい戦略はいつも行き詰まるのか?』清水勝彦 書評191(2)

清水教授の提言の骨格は、次のようなモノだ。

1.戦略はやってみなければ分からない。

2.だから企業は戦略アイデアを輩出する個人多数を養成奨励し、「アイデア・ポートフォリオ」を有することとする。

3.それらのアイデアの有用性は個々に「実験」して確かめて選んだものを「実践」すればいい。

まあ、「いかにも」に聞こえなくもないが、私に言わせれば「絵に描いた餅」である。そのことを数回に渡って指摘する。

(この項 続く)

2014年1月12日日曜日

『なぜ新しい戦略はいつも行き詰まるのか?』清水勝彦 書評191(1)

東洋経済新報社、2007年刊。
著者はテキサス大学サンアントニオ校准教授。

得体の知れない本だ。著者はビジネス・スクールの教授で巻末の参考文献を見ても一通りの先行文献を並べている。出版社との組み合わせから考えても、経営学の学術書と思って紐解いたのだが、その要素を完全に欠いている。

というのは、証明が論証が無いのだ。それらがなければ、そこら辺の企業を急伸張させた起業家社長のエッセーと変わらない、というか体験実話でもないので一層説得性に欠ける。

清水教授の主張というと、、

(この項 続く)
VW950万台過去最高

2014年1月11日土曜日

経営者ブートキャンプ、小グループ発表が佳境に

 経営者ブートキャンプの第8期の第4講を1月11日(土)に行った。

小グループでの戦略策定発表は、各自の第2回目に入った。この日と次の第5講で策定者は都合2回の小グループ発表をし、他の参加者からのブラッシュ・アップを受ける。

皆さんよく準備してきてくれるし、聴講側に回るとよく提言もしてくれる。もちろんどんどん質問も出る。この2回にわたる洗礼を経て、「発表用スライド」を仕上げると、それを私にメール提出し、私が個別に添削助言をしてファイナルとする。いよいよ佳境に入った。

http://mainichi.jp/select/news/20140112k0000e030139000c.html





2014年1月7日火曜日

本を書く (4)

出版が決まる経緯は?

他にもいくつかあって、その一つが出版プロデューサーに持ち込むという手。

プロデューサーは「見込みがある」と判断すると、伝手がある出版社に仲介する。編集企画的に助言することもある。

この場合はしかし、印税(まともに出ると定価の10%が多い)の半分以上をプロデューサーに持って行かれることとなる(種々のケース有り、交渉ごと)。

中には
「会って相談に乗るだけ、ゲラをとりあえず見るだけ、出版の保保証はしない」
で10万円以上取るプロデューサーも居る。

(この項 続く、しかし飛び飛び)

2014年1月6日月曜日

本を書く(3)

出版が決まる経緯は?

作者と出版社(あるいは編集者)の二つの立場があるわけで。後者は編集者による企画出版で、適宜な著者を捜す、というケースだ。

前者は通常「出版企画書」の形にして出版社に持ち込む。本を出したいヒトはたくさん居るので、通常この形だ。

ちなみに私が1987年に出した処女作『アメリカン・ビジネススクール決算記』(新潮社)は、生原稿をいくつかの出版社に持ち込んだ。アポ無しで受付に
「原稿を持ってきたので見て貰いたい」
と話したわけだ。その原稿も途中までのものだったけど。

(この項 続く、しかし飛び飛び)

2014年1月5日日曜日

新将命さん 経営者ブートキャンプに登壇

 経営者ブートキャンプの第8期も1月11日(土)に再開される。既に第4講となる。

新将命特別講師が午後中参加してくれる。前半は特別講義。文字通り「経営者の教科書」を。

午後は、小グループ発表を一つ指導してくれる。参加14名を各講で小グループで分け、戦略の途中発表をしてもらっている。

新さんのグループも、二人だけが1時間ずつ時間を貰って、小発表と相互討議、助言をもらう。このグループは新さんのコメントを聞くことによっても勉強となる。まあ、世の中で言えばずいぶん贅沢な勉強となる。

もう一つのグループ?それは私が受け持ちコメントする。

マグロ 初セリ 大幅安値

2014年1月4日土曜日

年賀状

年賀状は、、まだ出している。

5年前に実業を引退してから、賀状を交換するのは、プライベートなおつきあいの方が中心だ。その他には、いただいた賀状にいわゆる「お返事年賀」を出す。

著述業関係でお世話になっている方には、数年前からクリスマス・メールを一斉同報通信することを始めた。12月15-20日当たりに、クリスマス・カードの画像を添付したメールを出し、その年の主な活動を報告し、謝辞を述べる。

これを始めたときは、この形式が斬新だったのか、目に停めてくれる率や印象度も高かったかと思う。しかし、旧年12月は何しろ新著の執筆に追われ、このメールを出すのも止めてしまった。メールリストは1,500ほどもあるので、結構作業的に大変だからだ。

ということで、年を追うごとに不精というか、欠礼をする厚顔度が増してきている。このブログをお読みでお知り合いの方には平にお詫び申し上げる次第だ。

あっ、明けましておめでとうございます。

高梨 開幕4連勝 Wカップ女子ジャンプ

2014年1月3日金曜日

本を書く (2)

どのくらいの期間で一冊書き上げるのか?

今度の本の初回打ち合わせは、11月末だった。
「3月に出そう」
とまず、出版月が決まり、
「それでは1月末に脱稿してほしい」
とのことになった。編集、製本作業に1ヶ月かかる、ということだ。

つまり都合2ヶ月で書き上げる約束をした。私にとって約20冊目の刊行となるので、大体ペースは分かっている。しかし、近年は3ヶ月くらいで書き上げたものが多かったので、速いペースの執筆となっている。そんなわけで12月は結構パソコンに向かい、いわゆる正月休みもキーボードを打っている。

(この項 続く、しかし飛び飛び)

戦禍の予感が

新年が明け、今年はどんな年になるだろうと考えた。

私は戦後生まれで、ありがたいことにこのまま戦争体験が無いままで逝ける幸運な世代だと思っていた。明治以降の近現代で、こんな世代は自分たちだけだろう、と喜んでいた。

ところが東アジアに暗雲が漂っている。その最も濃いリスクはもちろん北朝鮮だ。今年金正恩第1書記は自重できるのか、暴発してしまうのか。軍部、国内との状況は太平洋戦争開戦前の日本と通じるところがあるように感じる。

また、尖閣諸島を巡って、中国との緊張はどう動くのだろう。

大きな出来事に今年遭遇してしまうかも知れない。

金正恩第1書記、処刑に言及

2014年1月2日木曜日

本を書く (1)

振り返ると旧年12月は忙しく過ぎた。本ブログのアップ数も少なくなってしまった。

最大の理由は、新著に取りかかっていることだ。次作は20冊目あたりとなる。

著作の出版など、若いときには思っても居なかった。しかし、結構な数の本を上梓させて貰ったので、
「どんな具合に本を書いているのか、書くのか」
について書き留めておくことにした。丁度現在進行形の著があるので、それの同時進行の報告とも重ねたい。

(この項 続く、しかし飛び飛び)

箱根駅伝、往路東洋大

2014年1月1日水曜日

明けましておめでとうございます。

2014年が始まりました。
お陰様で、昨年も健康で1年を過ごすことが出来ました。

実業を引退し、経営コンサルに転向して5年目となります。公開セミナーやら期日を定めた研修などずいぶんやらせて貰ってきました。幸い、傷病なども無く、キャンセルや変更などのご迷惑をおかけしたことが全く無かったのは本当に良かった。今年も「無事、是名馬」のデンで過ごせればと願っている次第です。

本年もどうぞよろしくお願いします。