林氏側のこのような対応もあり、ソフトバンクロボティクスと林氏側の対立という構図にはならずにこの問題は決着を見たようだが、実はこの二者のほかに、この問題をめぐる登場プレーヤーがいる。
それは、林氏やPepperを紹介、報道してきたメディアというプレーヤーだ。メディアがある人物を紹介するとき、その呼称をどのように決定しているか。一義的にはその人の正式肩書きであるが、「開発リーダー」のように一般呼称としての称号で呼ぶのは、メディア側の判断となる。つまりPepperについて誰が実質上の開発リーダーだったのか、という判断が無意識に行われているのである。
メディア側が呼称を選択することは評価行為であり、言論行為なのだ。林氏を「Pepperの開発リーダー」と多くのメディアが呼んできたということは、そのまま林氏の業績に対する評価だったといっていい。林氏が自らの業績を誤って、あるいは誇張して伝えてきたわけではない。
このような構造で今回の事案を見てみると、実はソフトバンクロボティクスの「要請書」はメディアの評価、判断に対する挑戦だったと解することができる。ソフトバンクロボティクスは「誤謬を正した」と主張するだろうが、実際には言論の自由、発表の自由に対する物言いとなった。
(この項 終わり)
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