戦略策定指導をしている会社のオーナー会長から座右の書ということでご恵贈いただいたのが、「生きがいの探求」(出口日出麿、天声社)。故出口師は大本教の三代教主補だった人だ。
同書を通読して、改めて明治人の漢文素養に圧倒された。同師は戦前京都大学の文学部を出ている。
出口師の書きぶりは基本的に雄渾な和漢混淆口調なのだが、突然砕けたざっくばらんな口語表現になったり、散文詩が入ったりと、その表現が自由自在だ。それらを可能にしているのが、漢詩漢文への素養であることは間違いない。国文学出身の私にはよく読みとれる。
森鴎外、夏目漱石あたりでこの美質は日本の文学人、あるいは一般教養人からは失われてしまった。今、自殺する時に誰が「巖頭之感(がんとうのかん)」(藤村操)のような文章を残せることだろうか。
http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%8C%E3%81%84%E3%81%AE%E6%8E%A2%E6%B1%82-%E5%87%BA%E5%8F%A3-%E6%97%A5%E5%87%BA%E9%BA%BF/dp/4062016583
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿