90年代に香港で最大のEMSだった王氏グループはセガの最大の下請けとして、年間800万台ものTVゲームを製造していた。余勢を駆ってミニ・ステレオの自社ブランド拡販に乗り出そうとした。日本法人の社長をしていた私は、アフター・サービスや流通などの難問を指摘して大反対した。
80年代に勤務していたコーニング社は光ファイバーなど、特殊ガラスで傑出したメーカーだった。これがまたその時、「マーケットを自分でコントロールしたい」とのことで、サングラスへの進出を図った。レイバンのような自社ブランドを作りたがったわけだ。
両方とも、B-to-B会社の儚い夢プロジェクトで終わった。前者のケースでは、顧客だったヤマハからの信頼感を損ねただけだった。
(この項 終わり)
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