東証には財界人枠として用意された会長職に就任した。いわば「お飾り」的にいてくれればよい、という性格もあった。製造業である東芝出身の西室氏は金融、ましてや企業としては特異な証券市場運営会社などにはまったく土地勘がなかった。ところが、就任半年後の05年12月にみずほ証券がジェイコム株誤発注事件を起こし、東証側で責任を取って社長が辞任すると、自ら社長に就任してしまうのである。
さらに東証、日本郵政の社長時代を通じて、西室氏は東芝にも強い影響力を行使し続けた。相談役という立場ながら、東芝本社の38階の役員フロアに故・土光敏夫元会長が使っていた部屋に居座り続け、日本郵政という大企業の社長職にある間も東芝に週3日も出社し続けて院政を敷いてきた。
不正問題で揺れる東芝が次期社長の選定に苦慮したときに、西室氏は日本郵政社長としての定例会見で「本人が辞めると言っていたが、私が絶対に辞めないでくれと頼んだ」結果、現社長に室町正志氏(当時会長)が就任した、と語っている。つまり、自らが東芝のキング・メーカーだと広言したにほかならない。
(この項 続く)
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