陳述書によれば、5月11日に宮川選手と両親が内田監督と面会し、監督による反則指示の公表を求めたが拒否されたという。退部も決意していて思い悩んだ宮川選手の父親が弁護士に代理人を依頼したのが、15日だったという(代理人の冒頭説明)。18日には、選手と家族だけで被害者である関学大選手への謝罪訪問を実施していることから、代理人を選任したことで、宮川選手が“日大の呪縛”から逃れ始めたように私は理解した。
日大は事実関係の確認作業などを進めて24日をメドに改めて関学大に回答するとしていたが、代理人は「監督、コーチから事実を聞きたいというお話は、今までただの一度もありません」と話し、部としての事情聞き取りの予定がないことから、急遽22日の会見をセットしたと説明した。
記者会見の段取り、準備も周到なものだった。会場を提供した日本記者クラブは、通例では会見に臨むのは当事者本人のみで、弁護士などの同席を認めていないが、「本人が20歳を超えたばかりの未成年に近い青年なので」(代理人)例外として認められたという。記者からの質問に適宜割って入るなど、宮川選手にとっては心強い存在だったであろう。何しろ、20歳の青年が突然100名を超える報道陣と多数のテレビカメラの前に立たされたのだ。大きな試練であり、勇気がなければできることではない。
(この項 続く)
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