原子力が上記のエネルギーと決定的に異なる点は、新しく人類によって開発された科学技術だ、ということである。そして私たちはその新しい技術をうまく制御する対応技術も社会システムもまだ構築できていない、ということなのだ。
この点を無視して、専門家風に市民を言いくるめて一時的に「言葉を失」なわせても、原子力技術の本性を糊塗できるわけではない。
飯田が「第2の点」としたのは
「資源はすぐ枯渇する、(略)化石燃料はあと400年で使い切るし、、」
ということだ。
確か、1973年の第1次オイルショックの頃は、「あと40年」だったのではないか。それが原油価格が高騰するとそれまで不採算だった油田が開発され、伸びてきた。このごろではオイルシェールやオイルサンドの活用により、「あと400年」などと言われるようになった。
化石燃料の可掘年限の延長推移をふりかえって思うことは、「科学者側の恫喝理論」と社会のほうの「経済合理性を元とした対応力」ということだ。
仮に「あと400年」だとしても、その間に価格高騰があれば、経済合理性により開発範囲は広がる。なにより、例えば今から400年前と言えば、江戸時代の始まりである。そこから現代に至るまでの時間枠があるのなら、技術的ブレーク・スルーが無い方がおかしい。個人的には太陽熱のエネルギー転換の分野で、化石燃料のコストを下回れば問題は解決するはずだと信じている。
(この項 続く)
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