飯田武彦という人が、『「技術の力」と「ぼくらの精神」』というエッセーを書いている(談話室、日本原子力学会誌、Vol.54,No.8,2012)。http://kie.nu/CfV
そのエッセーへの感想を求められたので、本稿を起こしている。以下、飯田エッセーの各項目に沿って私の感想を書いていく。
ぼくらの精神
エッセーのタイトルにも掲げられている「ぼくらの精神」とは、湯川秀樹との対談の中で小林秀雄が
「目的いかんにかかわりのない技術自身の力がある。目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない」
としたことだという。そしてこの二人の対談から、飯田は幾つかの論点を見いだして彼の稿をすすめたわけだ。
上記の小林発言で私が思うことは、「ぼくらの精神が要するに道義心だ」ならば、その道義心が欠如する世界や社会ではその技術を制御・対抗するすべは失われる、ということだ。小林自身も、道義心がなければ「対抗する力がない」としている。だからこそ道義心を涵養しよう、確立しようと、私たちを啓蒙している、という論理構造だ。
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