さて、話しを「文章読本」に戻す。
大野晋先生がくさし、丸谷才一が「あれは誰かの代作」という情報を漏らした「川端・文章読本」の要諦は
「話すように書け」
ということだった。
一方、「丸谷・文章読本」は
「気取って書け」
と、真逆のことを指摘している。
私はこのごろスマホをiPhone5に代えたところ、搭載されている音声認識システムSARIに驚嘆した。メールなどはそのSARIによって、文字通り「話すとおりに書き」起こしている。しかし、それは決して達意の文にはならないし、初めから文章として書いたモノに遠く及ばない。
上述の主張に関しては、文章の理(ことわり)から言っても、丸谷才一の方が正しい。「川端・文章読本」はどこの未熟代作者がこのような妄言を書き落として、ノーベル文学賞作家の栄誉を汚してしまったのか。
かといって、それでは「丸谷・文章読本」が数有る同名書の中でピカ一なのかと言うと、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)