2012年9月7日金曜日

日本マクドナルド 原田泳幸社長が「経営プロフェッショナル」の鑑(かがみ)(2)

故 藤田田(でん)氏
米国を代表するグローバル企業の1つ、マクドナルドも日本進出時は、藤田商会との合弁での進出だった。故藤田田(でん)氏は、日本にマクドナルドを紹介したことで一躍、時の経営者と成った。第1号店は銀座三越の銀座通り側路面店という信じられないような立地でのスタートで大変な話題と成った。

強烈な個性を持った藤田氏は「ユダヤの商法」をテーマにした一連の経営書も著し、2001年に至るまでトップとして君臨し、まるでマックは藤田家の家業であるような印象を作り上げた。

1971年に出店を開始して、20年ほどの間に1,000店を実現した。ところが、1990年代の10年間でこれを4,000店に増やしたところで、「頭打ち」のフェーズになる。店舗当たりの売上高が減少に転じ、それは2003年まで7年間続いた。

2002年に入り藤田は辞任し、2004年に死去した。藤田商会は株式をマック本社に譲渡し、完全外資と成ったところで、2004年原田泳幸氏がスカウトされて着任したのである。

(この項 続く)

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