この選択は正解で、日本の化粧品の訪販マーケットは富士経済によれば00年に約2650億円あったのが落ち続け、10年には2000億円を切ろうというところまで下がった。ポーラが危ういところで難を逃れた戦略的判断となった。
「凡庸な訪販化粧品の1社」というイメージから脱却するために、種々の活動も繰り広げた。11年には「AAA(アンチエイジングアライアンス)宣言」をしたかと思えば、12年に国際化粧品技術者連盟世界大会でポスター発表部門最優秀賞を獲得するなどした。
鈴木社長の経営改革は、マーケティングの分野にとどまらなかった。06年には持ち株会社として現社を立ち上げ、統合的で機能的なガバナンス体制を確立し、10年には東証1部上場を果たす。家業、同族的な経営体制から、大手製造会社にふさわしい体制に移行した。
(この項 続く)
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