2014年6月14日土曜日

本を書く (29) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎 

松尾聡先生のお訳はというと、流麗な文章、これに勝るものはない。幾多の小説家、つまり文章のプロ中のプロの源氏訳より華麗な流れが先生の訳出にはあった。
 
私の専攻は『伊勢物語』だったが、『新註伊勢物語』(松尾聡、武蔵野書院、もちろん絶版)で各章段ごとの先生のお訳にはうっとりと感心して、読みふけってしまったものである。
 
三島由紀夫は、先生について次の一文を寄せている。
「松尾先生には学習院で、国文法や万葉集などを教わった。実に散文的な講義で、やわらかい少年の感受性に訴えるものは一つもなく、少年の頭で考えると、全然不文学的な講義に思えた。その上、先生は点が辛く、皮肉屋でイジワルだった。そうかと云って、先生は人気がないというのではなかった。お茶坊主的教師に却って人気がなく、一部偏クツな学生は、ますます松尾先生の肩を持った。どういうわけか、先生の渾名をポンタと云った。この芸者みたいな渾名と、先生の学究的風格とは、全然合わないようでいて、どこか先生のとぼけた一面をあらわしているところが面白い。先生の逐条主義的な講義は、あとになってみると、いわゆる文学的感受性に訴える情緒的講義よりも、はるかに実になっているのがふしぎである。先生のは、古典を自分で読む力を鍛える講義だった。従ってスパルタ的で無味乾燥であるが、西欧の大学のラテン語やギリシア語の講義だって、入門の段階ではもっと無味乾燥であろうから、その段階で日本の古典が嫌いになる奴は嫌いになればいいのである。」
—三島由紀夫「松尾先生のこと」(松尾聰『全釈源氏物語』付録2 1959年より)
 
三島由紀夫はもちろん生来の大才能だった訳だが、中高と国語指導をしたのが松尾先生だったことは偶然で終わったわけではないだろう。私が直接言葉を交わさせて貰った知識人で一番文章が上手い方だったのではないか。
この松尾先生は、、

(この項 続く、 しかし飛び飛び)