2018年8月29日水曜日

なぜ小池都知事と徳島市の遠藤市長は自ら「死に体」になった?(5)

うまく舵をとれない2人の首長

当選した16年の勢いは、東京でも徳島でも失速した。

 小池知事の勢いが止まったのは、17年10月の衆院総選挙の時だった。同年9月29日の会見で希望の党代表として会見し、他党からの移籍者を「排除する」と発言してしまった。この発言を契機としてすっかりそのカリスマを失ってしまった小池知事は、足元の東京都政でも「決断できない」「迷走している」などと批判されるようになった。

 小池知事が改革の目玉プロジェクトとして、その移転を延期していた築地市場問題も、結局18年10月の豊洲移転が決定され、「過去の小池知事の決定はなんだったのか」と嘲笑されるに至っている。

 一方、遠藤市長は新町西地区第一種市街地再開発事業の訴訟に足をとられつつ、「敵は本能寺にあり」ということだろうが、阿波踊りの改革に乗り出した。阿波踊りは毎年100万人以上も集める四国でも屈指の観光行事なので、大きな経済効果がある。金が動くところに利権あり、というのが世間一般の認識だ。

 阿波踊りを主催していたのが徳島新聞と徳島市観光協会だった。市が補助金を出していた市観光協会を監査したところ、累積で4億3000万円の赤字が出ていたという。遠藤市長は市観光協会をどうにかしようと考え、まず協会長の自発的な退任を求めた。ところがその時の面談会話の録音とされる音源がインターネット上にアップされてしまうというスキャンダラスな展開となってしまった。

(この項 続く)


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