前職が長きにわたって職にあるという閉塞状況ではなかったが、前々職の猪瀬直樹氏はわずか1年、前職の舛添要一氏も在任2年でいずれもスキャンダルを契機として騒がしく辞任してしまっていた。
小池氏は中央政界から都政へのいわば天下り的な登場だったが、自民党と公明党推薦の増田寛也氏、野党各党の推薦を受けた鳥越俊太郎氏を大きく引き離してトップ当選を果たした。小池氏はやがて希望の党を組成し、一時は東京都にとどまらない大きな影響力を手にしようという勢いだった。
当時の都知事選を振り返ると、小池氏は東京都議会自民党という既存勢力を仮想敵として掲げ、わかりやすい対立軸を選挙民に対して示した。投票する側は「既存勢力-利権の可能性」という証明されていなかった構図を感じ、それを忌避して雪崩をうって「都民ファースト」を標榜した“小池教祖”支持へと走ったのである。
大量得票で自信、改革を掲げる
(この項 続く)
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