前々回のブログで国語学者のことを書いた。私が学習院大学の国文科に入学したのは1967年のことだった。高校生で知るよしもなかったのだが、当時の学習院大学の国文科は、教授の顔ぶれといった点ではまさに日本一だった。江戸時代文学では、麻生磯次、宮本三郎、諏訪春雄。源氏物語の松尾聡。上代文学では五味智英。それぞれの分野でこの國の最高権威の学者がそろっていた。
そして国語学では何と言っても大野晋(すすむ)。大野先生は晩年の日本語:タミル語関連説の提唱で孤高の戦いを選ばれたが、上代語から平安言葉までの古語については今に至るも追随を許さない。大ベストセラー「日本語練習帖」(岩波新書)で一般には知られるが、その日本語への博識から一流作家にも心酔者が多く、「作家の家庭教師」とも言われた。
大野先生の告別式に駆けつけて焼香の列に並んだら、弔辞が既に始まっていた。途中から聞いたのだが、その格式の高いことに一驚して思わず既に並んでいるご婦人に、
「これはどなたですか」と尋ねると、
「丸谷才一ですよ」
と、諭された。葬儀委員長は井上ひさしが勤め、出棺の際の挨拶も遺族に代わってしていた。
日本語学者を気取るのなら、金田一京助ほどの、大野晋ほどの達成をしてもらいたい。
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