孫正義と柳井正 (13) 孫正義は狩猟民族経営
筆者は1980年代の終わりに、とあるパソコンとソフトの販売会社で営業責任者をしていましたが、当時、ビジネス向けソフトウェアに関してはソフトバンクの前身である日本ソフトバンクが最大の購入先でした。
ソフトバンクはソフトウェアの分野では日本における最大の卸業者だったのです。孫氏は重病を患って死線をさまよい入院していた時期で、筆者の在任3年間に現場に出てくることはありませんでした。
そもそもこの一代の風雲児が米カリフォルニア大学バークレー校留学時代にベンチャーとして起業したのが、電子翻訳機でした。ですから孫氏は小なりとも製造業者としてそのビジネス人生をスタートさせたのです。
事業家としての孫正義の真骨頂は、その電子翻訳機の開発・製造のために、自分の恩師であった同校教授を社員として雇い入れてしまったこと、そしてこの翻訳機を自社だけで販売しようとしないで、一面識もないシャープに押しかけてデモを披露した揚げ句、その権利を1億円で売却したということでしょう。「一学生の行動としては」と嘆声を上げざるを得ません。
(この項 続く)