先週私のブログへのアクセスが大幅にアップした。分析したところ、大槻忠男氏について一昨年書いたブログがそのお名前の検索に引っかかって開かれたと言うことだった。
大槻さんがアデランス社の社長に就任されたときに「旧知の大槻氏が」とブログを書いた。
大槻氏はビッグ・ホリディの創業社長である岩崎安利さんからの紹介だった。ちなみに岩崎さんとは40年来(!)のおつきあいをしていただいている。
大槻氏とも不思議な因縁があった。私は1992年に3ヶ月だったか4ヶ月間だったか、日本ドレークビームモリン社の副社長をしていた。カタカナ名前だったが、純粋な日本の会社でオーナー創業者の舘内さんが社長、アメリカのDBMからローカル・フランチャイズ権を買ってその名前を名乗っていた。
言うまでもなく、日本のアウトプレースメント業界の草分けの会社だった。大槻さんは私がいなくなった後、DBMにカウンセリーとして関与し、舘内さんにスカウトされた。カウンセリーとは、日本ペプシコ社の社長だった大槻さんが再就職支援をDBMで受ける成り行きだったのである。
辣腕をふるった大槻さんは舘内さんの後を継いで社長となり、日本DBMを上場させた。その際オーナーだった舘内さんは創業利益として莫大な金額を手にしたと伝えられている。
その後大槻さんはファンドの招請を受け、アデランス社の社長職を引き受けられたのだが、この度株主総会で代表権のない取締役に選任されたとのことである。外資やファンドを巡ってのドラマがまた繰り広げられたのではないかと思量する。あるいは雇われ社長と資本家、というゲームということなのか。
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