香港デモで露呈した中国の“本性” 失墜したアジアの国際金融都市、香港集中から分散へ(2)
この発表を受け、民主的な選挙に変更するよう訴える若者や市民が蜂起し、民主化デモが政治・経済の中心である金鐘(アドミラルティ)や商業地区の銅鑼湾(コーズウェイベイ)、九龍半島中部の繁華街・旺角(モンコック)を埋め尽くした。
一連の経過より、筆者は「いよいよ中国が香港統括について本性をむき出しにしてきた」とみている。筆者は1970年代から香港に関する著書や論文を発表し、日本華僑華人学会が創立されたときは発起人として名を連ね数年間役員も務めてきた。1992年から4年間は香港上場企業の日本法人で社長を務め、渡港歴は数十回に及ぶ。
香港が英国から中国に返還された97年、返還式典で初代行政長官の董建華(トン・クンファー)氏と接触したが、当時中国は公式見解として「少なくとも50年間は1国2制度として、香港の現行のやり方を許容維持する」としていた。これが説得力を持って世界に受け止められたのは、中国が香港の次に併合を狙っている台湾に対して不安感を与えないためだとされていた。
しかし筆者は当時、現地の空気から「そんなことはないだろう」と感じていた。1国2制度という「衣」の下には、拡大主義の中華思想という「鎧」が見えていたのだ。
(この項 続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿