冨山氏はとある日本のメーカー側のコンサルで、私はその合弁先香港企業の日本法人社長という立場だった。スタンフォードのMBAを取って帰られていた。
’87年に出した私の処女著作、『アメリカンビジネススクール決算期』(新潮社)で刺激を受けて、海を渡った90年代初頭のMBAブーマーのお一人というお話しだった。
その後、私がフィリップス時代にも同社が出入りしていたが、私との直接の面識は、その王氏港建(WKK)社の時だけだった。氏もまだお若く、私の本社側の会長、社長とよく飲んでくれたことを覚えている。
冨山氏は、、、
(この項 続く)
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