ユニクロなどを展開するファーストリテイリング社長の柳井正氏と、ソフトバンク社長の孫正義氏は、実質的な創業社長として現在日本における2大名経営者だと思います。
ビジネス拡大の手腕については、ともに稀有というべき実績を残してきた2人ですが、その経営手法やスタイルには大きな差異が見られます。差異の筆頭ともいえるのが、「ビジネス・ドメイン(事業領域)」との関わり方でしょう。
●ドメインを果敢に飛び越えてきた孫正義
ソフトバンクの本業として、現在多くの人たちが想起するのが携帯電話通信業者(キャリア)だということでしょう。iPhoneをメイン・アイテムとする日本の三大キャリアの1社です。2010年にはウィルコム、12年にはイー・アクセスを買収し、13年には米国でスプリント・ネクステルを買収してグローバルでも通信業のビッグプレーヤーとしての位置をうかがっています。
しかし、ソフトバンクの発展を振り返ってみると、実は最初から通信業界の覇者を狙っていたわけではありません。
(この項 続く)
私は不快に感じ、、、
「あなたが『熱い』と思ったら、私に『そのまま喰え』と言うのか?」
と尋ねた。
「そんなことはありません、お換えします」
「それなら、そんな味見は皿を下げてキッチンでやってくれ、疑われているようで不愉快だ」
「しかし、、確かめませんと」
「何を確かめる必要があるんだ、客が不味いと感じたら不味いんだ。こちらは早く食べたいのに偽りのクレームなんか付ける訳が無いじゃあないか」
「そうなんですけど、店の決まりで」
「そんなマニュアルなら改めなさい。あなたが店長ならあなたの判断が悪い。僕は、ぬるい料理で不愉快、あなたの対応でもう一度不愉快、2回不愉快だ。」
まあ、客から「お前がここで喰ってみろ」と言われればテーブルで味見するのもいいだろう。しかし、下げて裏で味見すべきでしょうな。私は店長さんと食事をしに来たのではない。
もし裏で「熱い」と判断したら?
「あの客の舌はおかしい」
と蔑んで、しかしやはり別の皿を用意しなければならない。
なぜなら、レストランは料理を売っているのではない、「食の満足」を売っている。もっと言えば「満足感」を売っている。
(この項 終わり)
贔屓にしているレストランで食事をした。チェーン展開している中では比較的高単価側に属するか。
焼き肉ガーリックライスを頼んだら、少し時間がかかった。肉にかぶりついたら、どういうわけか結構ぬるい。鉄板ステーキ皿で供するくらいだから、ジュージュー言う熱々を期待した。
黒服の店長を呼ぶと、
「そうですか」
と言って、奧から小皿を持ってきて、私のテーブルで私の皿から焼き肉を一切れ取って食べ始めた。
「たしかに少しぬるいですね。お取り替えします」
と言ったのだが、私は不快に感じ、、、
(この項 続く)
このようにグローバルで大胆な戦略が展開されるようになったのは、藤森義明氏(62才)が2011年に社長兼CEOに就任してからのことである。
藤森氏はゼネラル・エレクトリック(GE)社で、あの20世紀最大の経営者と私も評価しているジャック・ウェルチの評価と薫陶を受けて育ってきた経営者だ。現にして名経営者、このままLIXILグループを3兆円、5兆円規模の企業に育て上げれば、孫正義氏や柳井正氏などと並ぶ「平成の大経営者」の道を登り詰めていくかも知れない。
住生活グループと称していた当時に外部からーそれも外資畑のー藤森を招聘、抜擢した潮田洋一郎オーナーも偉いが、それはまた別の機会に書きたい。
日本伝統的な製造会社であり、創業家が存する大メーカーで、外資出身の経営者が辣腕を振るっているのは、私事に引きつけてもまことに痛快だ。藤森義明の経営、刮目して見ていきたい。
(この項 終わり)
私が談合やカルテルについて関心がある理由は、過去に欧米の大企業、中でもアメリカのフォーチュン500社の日本法人社長を務めた経験があるからだ。
あちらの大企業では、談合による巨額な罰金のリスクが強く認識されていた。年次の本社での経営会議に出ると、社内弁護士が1時間ほど世界中のカントリー・マネジャーに
「アメリカ国外での談合でも、本社が罰金課徴される。それは、実に巨額に登る」
と、警告レクチャーをするのが通例だった。
そして、私が東京で顧客が催す業者親睦会で競合会社の人と名刺交換などすると、それは米国本社のリーガル部門に報告しなければならなかった。パーティでの立ち話での内容まで報告したモノである。
私が不審に思うのは、日本における「業界団体」の跋扈である。あれは、官庁の天下り先でもあるが、実際談合の温床になっているケースが多発している。業界団体などはすべからく廃止し、業界の統計的なことは第3者の商業的な調査会社に任せた方がいい。
(この項 終わり)
住友電工が関与した過去の国際カルテルに関連して、当時の役員たちが連帯して5億2千万円もの和解金を支払うことで合意した。株主代表訴訟で80億円余も請求されていた。
http://www.asahi.com/articles/ASG574CT5G57PTIL014.html
今回の和解で注目することは2つある。
1.役員が支払う金額が、カルテルがらみでは過去最高となったこと。この金額は、国際カルテルでは今後も大きく膨らんでいくことが予想される。今回だって、「和解で5億、請求は88億円」だった。
2.告訴され和解金を支払うのは、担当役員だけでなく当時の役員全員と思われる22名。カルテルや談合を結ぶ可能性がある企業の取締役には死んでも就任したくない、と思うのが当然自然となるような事象ではないか。上場会社の場合、退任して10年間は株主訴訟の被告適格なのだ。引退しても10年も枕を高くして眠れない。
このブログでも、私は何回か日本企業の談合事例について言及してきた。関心がある理由は、、、
(この項 続く)
ところが、LIXILグループの近年は海外に大発展している(INAXは同社傘下である)。
2015年期の同社の売上げ予測は1兆7600億円であるが、海外売上げを6,500億円と目指している(同社中期経営計画)。2013年の海外売上げ実績は、2,620億円なので、2年の間に2.5倍となる速度だ。
2015年の海外売上げ予測には、米国のトップ衛生陶器会社であるアメリカン・スタンダード社などいくつかの大型M&Aで、3,250億円を見込んでいる。もちろん、なにも悪いことはなく成長の時間を大胆に購入しているのだ。
2016年には3兆円を目指しているグループ年商の内、1兆円を海外事業で売上げると、同社中期経営計画は謳い挙げている。同社の場合、成長はまさに海外で加速するのだ。
このようにグローバルで大胆な戦略が展開されるようになったのは、、、
(この項 続く)
日本を初めて訪れた旅行者が感想を求められて、実に良く聞く話しが、
「日本のトイレは、、」
というものだ。
そして、
「あんな素晴らしい体験は無かった」
と、例外なく激賞する。
十年来この感想をそれこそ繰り返し読んだり聞いたりするたびに、私は不快に思うようになってきていた。それは、
「この業界のリーディング・メーカーは一体何をしているのだろう」
ということだ。
1.一つの商品が、有る地域に全く出回っていない、というかそのマーケットでは新製品(存在しているのに出していないのは「未製品」と言うべきか)である。
2.限定されたモニタリングでは素晴らしい評判である。
3.価格帯が参入障壁とは思われない。少なくとも欧米では抵抗感のない商品として迎えられるだろう。都市による水道事情がある程度の障壁となるかも知れないが。
4.マーケット規模は無限だ。普及しているのは日本だけ!
こんな状況で、日本を訪れる観光客が十年一日のごとく、
「こんなものは母国では体験したことが無い!」
と言い続けているのは、TOTO, INAX, そしてパナソニックの経営者の罪悪とも言えるほどの怠慢だと私は考えて来た。
ところが、、、
(この項 続く)
昨年来、時々「社長と一対一」での経営指導という依頼を受けるようになった。
本日はとある上場企業で、その会社の社長とほぼ1日を過ごした。具体的には、1.5時間のセッションを3回講義(というか、半分近くは対話形式)。
これを今回は、月1回のペースで7回行う。その都度課題図書を1冊置いていき、次回までに所定の短い形式で感想を書いて貰う。そして、短く討議する。
経営者ブートキャンプでは、公募した参加者が7講に渡って学ぶクラスを再現している。特別講師がいないこと、私が専任で話すことが違う。しかしその会社での個別の課題を捉えて貰い、解決策を考えて貰うというアプローチは同じだ。
一回目が終わり、帰宅したら社長さんからとても丁寧な御礼のメールをいただいた。幸い、満足度は高い。彼の成長と、その会社の業績伸張に寄与貢献したいモノだ。
(この項続く、ただし次回は次の授業を行う1月後)
もう一人の女性社長もユニークで、外資の医療系特殊機器の日本法人社長の方。医療系というので、もしかしたらと思ったら、果たしてPh.Dr.で、しかも経営職なのでMBAである。
スカウトで着任したというので、「一体どこのヘッドハンターから?」とお伺いしたら、私が聞いたことが無いところだ。(そんなところがあるのか)と思ったら、医療やヘルス・ケア業界専門というか特化したヘッドハンターがあるという。
「アー、ウチもそこを使っていますよ」と口を挟んだのは、生命保険関連の外資の社長さん。「本社の指定で、その分野では世界的に突出しています」
とのこと。一つモノを知った。
その他にも多士済々の参加者の方々。We are going to have a great Summer! Again.
(この項 終わり)
第9期では女性経営者の参加者が久しぶりにあったことが嬉しい。それも二人も!
お一人は化粧品材料を製造するメーカーのオーナー社長。ご自分が勤務していたその分野の商社が行き詰まり、社員達の依頼により承継を決断したという。
「負債が4,500万有り、『ゼロからのスタート』どころか、『マイナスからのスタート』でした」
と言う。
「その後、やるからには自分で製造販売しなければ駄目だと思い、工場を立ち上げました」
という。覚悟と創意に富む立派な経営者だ。
もう一人の女性社長もユニークで、、、
(この項 続く)
「ミューチュアル・メソッド」は、ビジネス・スクールでの第3の教導方式と自負している。
MBA経営大学院(ビジネス・スクール)での教え方には、「ケース・メソッド」と「セオリー・メソッド」がある。
「ケース・メソッド」はハーバードが代表的で、かつ総本山。実際・匿名・仮想の企業事例を元に、クラスでのプレゼンや徹底的な討議によって教えるというものだ。「セオリー・メソッド」は教科書による教授の講義。欧米での多くのビジネス・スクールはこの二つを教科により使い分けている、「折衷メソッド」である。
「ミューチュアル・メソッド」は経営者ブートキャンプのオリジナルで、たぶん意識して運営している唯一のプログラムだ。
どういう学び方かというと、、、
(この項 続く)
経営者ブートキャンプの第9期が、5月17日(土)無事発進した。満員御礼で、志のある経営者と幹部の皆さんからの期待に溢れた。
これから、9月13日(土)の「戦略発表会」まで、計7講の土曜日に集って貰う。10時から17時半まで、そして参加任意の懇親会まで、みっちり勉強もして貰い、しっかりネットワーキングも構築して貰う。
ブートキャンプでは、私と特別講師の講義が1/3,戦略策定小グループ討議が1/3,課題図書の報告と討議が1/3というのが大まかなクラス構成だ。
しかし、それぞれのカリキュラムで通底しているのが「ミューチュアル・メソッド」という考え方である。それは、、、
(この項 続く)
私が尋ねた。
「それで、コーチングって、実際はどのくらい流行っているの?」
すると、
「実需は殆どありません。それでメシを食えている“コーチ”は日本ではほんの一握りです」
と言うではないか。続けて、
「コーチングで食えているというヒトは、”コーチングになりたい”私のようなヒトを対象にしたセミナー講師で稼ぐか、いくつかある私設資格を発行認定するということでやっているんです」
とも。
私の周りにはたくさんの経営者の方が来てくれているが、確かにコーチングを受けているとか、会社のプログラムとして幹部や社員に受けさせているということを聞かない。それどころか、長いビジネス人生でコーチングを金を払ってやっているという実事例に出会ったのはただの一度だけである。
幽霊の正体見たり、枯れ尾花、、、。
(この項 終わり)
先日、とある外資の社長さんのキャリア相談に乗った。50歳代前半で、アメリカのMBAホルダーでもある。
引退したら、というか近年中にコーチングを専門としたいという相談である。それについて然るべく研鑽を積み、ボランティア・ベースで何人ものコーチングをしてきているそうだ。
「経営職体験のあるヒトが、現役経営者にコーチングする、ということで貢献できると思います」
確かに構造的にはそういうこともあるのだろうと思い、私が尋ねた。
「それで、コーチングって、実際はどのくらい流行っているの?」
すると、、、
(この項 続く)
「丸谷才一・文章読本」の難点は、細かすぎるということだ。
大文章家のこの作家が、文章について微に入り細にわたってその蘊蓄を傾けている。
記号の使い方やオノマトペアのことなども詳しく指南しているが、レトリックについての各論での用語や概念などは、私も「丸谷・文章読本」で初めて勉強させて貰った。
そんな細かな技能を駆使する、あるいは駆使できる一般の文章家がどれだけ存するというのか。私は文学部を出て(一応修士課程も)著作も20冊以上有る。その私が(不勉強だけかも知れないが)知らない、つまり自家薬籠のものとして使えない文章技能がたくさん書き連らなれている。
そのような細事のところは飛ばして読めばよいとも思うのだが、それぞれのところに来ると、この大文章家の文章力に捉えられてスキップすること能わない。結果、読了するのに難渋し、快読する読書の読み方ができない。「文章読本」という看板と目指すところが違ってきてしまっている。
そこへ行くと、「谷崎・文章読本」は、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)
「丸谷才一・文章読本」が数有る同名書の中でピカ一なのかと言うと、すぐにそう言えないのが文章論の難しいところだ。
「丸谷読本」は、太いところで的を射る指摘を重ねていて、私には概ね首肯できる。また文章読本をモノする個人的資質として、例えば評論家でしかない(つまり実作をしていない)中村真一郎などより、よほどの文章量を紡ぎ出してきた。つまり実作家の言と体験に裏打ちされた指摘に富んでいる。
また川端康成や三島由紀夫のような天才肌の作家・文章家ではなく、丸谷才一の場合は文章論を緻密に研鑽し、その形式、結構、理論の上に大伽藍というべき長編小説を発表してきた。丸谷にとっては、技能的に文章論に詳しくならざるを得ないアプローチで文学をしてきたと言える。
ところが、「文章読本」の場合ということになると、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)
ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り
●柳井氏の農耕民族経営
いずれにせよ、5兆円を目標として意欲的に事業拡大を続けている柳井経営は、ドメイン的には同じ領域の中での展開です。ファストリ・グループの今までの成長は、展開地域がグローバルになり、複数ブランドの所有だったり、他社のブランドや流通力を買収したり、というようなことにより実現されてきましたが、事業領域的には集中して衣料および関連流通業の領域にとどまっています。
柳井氏の経営の特徴はつまり、衣料事業というカテゴリーの中で独自のビジネス・モデルを構築し、それを徹底的に精緻化して磨き込んできたところにあるのです。
「ビジネス・モデル」というのは「独自な仕事のやり方の合わせ技」と言い換えることができますが、柳井氏が実現したビジネス・モデルには次のような合わせ技があります。
(1)ユニクロというブランド・ショップを始めて、それを多店舗展開してチェーン化をした。
(2)ファストリにより有名となったSPA(製造小売り)方式の本格的な導入
(3)中国での大量委託製造とそのコントロール(サプライ・チェーン・マネジメントの確立)
(3)新素材開発のため、東レとの戦略的で本格的な提携
(4)対面販売でなく、顧客が自分で選んで会計を済ませるセルフ方式の徹底
(5)「使った後でも返品自由」などの、顧客との信頼感醸成策
そして確立したこれらのビジネス・モデルを地域的に、あるいは他社を買収したりして拡大しようとしています。これは、同じことを繰り返し、その精度を年々上げていこう、そして同じ土地で実現していこうという、農業の方法論と通じるところがあると思います。 (この項 続く)
ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り
ファストリが14年8月期の業績予想として発表している内訳を次に掲げます。
事業別 売り上げ予想 対前年比
国内ユニクロ事業 7,150億円 +4.6%
海外ユニクロ事業 4,000億円 +59.2%
グローバルブランド事業 2,530億円 +22.7% 合計 1兆3680億円 +19.9%
表から、現在の基幹事業である国内ユニクロ事業が成長限界に近づいてきていると見ることができます。ここから20年までの6年の間で総売り上げ5兆円を達成するためには、海外ユニクロ事業とグローバルブランド事業の2つのカテゴリーでの大飛躍が必要となります。
グローバルブランド事業は海外におけるM&Aが一番てっとり早い、というかそれしかないわけです。大型案件であったJクルー社買収には頓挫したようですが、今後いくつもの案件が出てくるでしょう。
ちなみに柳井氏自身は米国での事業展開について、次のように語っています。
「今までは(欧州の存在感が大きい)大西洋の時代だが、今からは太平洋。中国からインド、南米まで含め、すごい経済圏になる。(要となる米国は)我々が世界一のアパレル製造小売業になるなら、絶対に無視できない市場だ。(売上高は)1兆円くらいないといけない」(14年3月27日、米ニューヨークでの共同記者会見)
(この項 続く)
ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り
柳井氏は衣料を核としたM&Aには引き続き意欲的で、14年3月にはアメリカの衣料大手Jクルー社をめぐる50億ドル規模での買収交渉があったと報道されました。ただしその後、合意に至らなかったとも報道されました。
柳井氏は、20年に売上高を現在の5倍に当たる5兆円にする目標を掲げているわけですが、それが実現するとなると、その時は海外での売り上げが大半を占めていなければ不可能だと筆者は考えています。
(この項 続く)
ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り
ファストリがグループとして傘下に入れている企業やブランドは次のようにすでに10以上ありますが、いずれも衣料業、あるいはその流通業といえます。
・CANDISH(キャンディッシュ):靴全般の小売店ならびに婦人靴ブランド
・GU(ジーユー):ファミリー向けカジュアル衣料ブランド
・セオリー:アメリカ発の総合ファッションブランド(09年7月に完全子会社化
・株式会社キャビン:婦人服専門店チェーン(07年12月完全子会社化、10年9月にリンク・セオリー・ジャパンに吸収合併)
・ZAZIE(ザジ)
・Real Riche(リアルリッシュ)
・e.a.p.(イーエーピー)
・enracine(アンラシーネ)
・we-nge
近年、ファストリはミーナという商業施設を展開し始めましたが、これも衣料流通業の延長線上ということで、「ドメイン・ジャンプ」を試みているわけではありません。柳井氏は衣料を核としたM&Aには引き続き意欲的で、14年3月にはアメリカの衣料大手Jクルー社をめぐる50億ドル規模での買収交渉があったと報道されました。ただしその後、合意に至らなかったとも報道されました。
(この項 続く)
ユニクロ柳井正の農耕民族経営 同じことの繰り返し&精緻化で同一事業領域を深掘り
ユニクロなどを展開するファーストリテイリング社長の柳井正氏と、ソフトバンク社長の孫正義氏は、実質的な創業社長として現在日本における2大名経営者だと思います。
ビジネス拡大の手腕については、ともに稀有というべき実績を残してきた2人ですが、その経営手法やスタイルには大きな差異が見られます。
差異の筆頭ともいえるのが、「ビジネス・ドメイン」との関わり方でしょう。「ビジネス・ドメイン」とは「事業領域」と訳されています。
●柳井氏は同一ドメインの深掘り
柳井氏の場合は、地方都市の一洋品店であった小郡(おごおり)商事の2代目を継いだ時から現在に至るまで、ほぼ一貫して繊維産業とその流通業のカテゴリーの中で業容を拡大してきました。途中、野菜の小売りなど、私たちの目をむかせるような寄り道をしたこともありますが、たちまち撤退し、本業に回帰しています。
(この項 続く)
創った戦略、発表しなければ意味が無い
私は現役経営者だったとき、6つの会社で社長を務めてきました。私が実際に事業の成功に使ってきたのが、この「戦略カードとシナリオ・ライティング技法」だったのです。それまで戦略立案のシステマティックな方法はありませんでした。経営コンサルタントに転じてからは、この技法によって多くの会社で経営戦略の立案を指導してきました。上場会社の社長にもこの方法で自社戦略を立てて貰っています。また経営者ブートキャンプでも長年多数の経営社や幹部を指導してきました。
マネジャーであったり、その予備軍である段階の方たちなら、今この段階でこの技法を習得されると、事業を組み立てていく能力が大きく強化されることは間違いありません。マネジャー仲間から一頭地抜け出ることができる領域、それが経営戦略策定力です。ぜひ習得することをお勧めします。
(この項 終わり)
創った戦略、発表しなければ意味が無い
さて、「戦略カードとシナリオ・ライティング」技法によってひねり出し、選び残したカードは約30枚に上ります。それらのカードは「5つのステップ」により並べられているので、全体がそのまま「3年経営戦略」を構成するのです。約30枚のカードの並びのことを「シナリオ・ツリー」といいます。
作り上げた「シナリオ・ツリー」をどうやってヒトに伝えればよいのか、つまり発表すればよいのでしょう。それには、ちゃんと「戦略発表用スライド」というテンプレート(書き込めばいいだけのパワー・ポイントのファイル)があるのです。パワー・ポイントに指定されたスライドのそれぞれに対応する「戦略カード」を転記して行きさえすれば、「発表用スライド」が完成します。
「戦略はコミュニケータブルでなければならない」ということです。上司の承認を得たり、部下に発表することによって、自部門が目指す目標や方法論、途中での課題や対処などを全て共有して貰うことにより、その戦略は初めて発動し、実践されるのです。
(この項 続く)
(2014年5月8日ITmediaエグゼクティブより転載)
「戦略カード」で戦略シナリオを走らせる!
「ステップは理解できたが、どういう具合に進んで行けばいいんだ」と途方に暮れるマネジャーが多いと思います。というのは当たり前ですけれども、上記のステップに入れていく内容は自分の頭の中からひねり出すしかないのです。
これを「概念の言語化」と言いますが、逆に言えば「回答は自分の中にある」ということです。自分の中にある考えを、戦略ステップに応じて並べるのです。でもほとんどのマネジャーは、そんなことに慣れていませんし、訓練されていません。実際、何も助けが無ければ戦略など都合良く湧き出てくるものではありません。そこで使える「思考ツール」があるのです。それが「戦略カード」というものです。「戦略カード」は大きさ・厚さが市販の情報カード(「京大式カード」ともいわれます)と同じものです。
このカードを上述「5つのステップ」の最初の4つのそれぞれのステップで、「カード出し」と「カード選び」という段階を踏んで進めていきます。そのやり方のことを「シナリオ・ライティング」と言います。経営戦略とはつまり、仕事の進捗や成功に関するシナリオを紡ぎ出すことです。
戦略カード 127x75ミリ
(この項 続く)
誰も教えてくれない「戦略の立て方」
経営戦略には――全社戦略も部門戦略も同じです。「戦略の時間枠」を設定します。「自部門の三年戦略」を立ててみてください。なぜ3年なのか? 5年、10年では遠すぎて、戦略策定者だったあなた自身がそのポジションを越えてしまっているはずです。また1年では短すぎるでしょう。戦略は次の「5つのステップ」で立てます。
出所:『本当に役に立つ戦略の立て方 5つのステップ』(山田修、ぱる出版)
経営戦略とは、最初の4つのステップとして示された
- 何を実現したいか
- 何が克服しなければならない問題か
- 有効な解決策にはどんなものがあるか
- その解決策を実践すると、どんな問題が起きどう対処すべきか
それぞれの各ステップでの「最重要なコト」を言語化していく行為です。
(この項 続く)
差を出すのは戦略策定力
ところが……残念ながら事業部長などの経営幹部や役員などを目指すためには、この2つの能力だけでは足りないのです。というのは、「リーダーシップ」と「コミュニケーション」の重要性には管理職みんなが気づいて日常業務の中での能力開発や精度の向上に努めてしまっているからです。「リーダーシップ」と「コミュニケーション能力」だけでは差が付かない、どころか同じコトをしていてるだけでは置いて行かれてしまうことがある、と思わなければなりません。
そこで、「第3の経営能力」という話です。多くのマネジャーがその重要性に気が付いていない、しかし社長は皆さんに強く望んでいる「第3の経営能力」とは一体何なのでしょうか。それが実は「戦略策定能力」なのです。
経営者は――社長自身は、全社を率いて全力で走っています。全体の方向やスピードなどを差配し、できれば最大効率で進んで行こうとしているわけです。そんな経営者にとって、「できれば部門の戦略策定は部門責任者がやってくれれば、できてくれれば……」と望むのは不思議なことではありません。神ならぬ身の社長ですから、それぞれの部門の細部まで全てお見通しの上で会社を経営しているというわけではないのです。
読者の皆さんも、初任管理職なったときに「マネジャーが部門戦略も考えて率いていってくれたら」という、言わば「自立型マネジャー」像を求められた感覚はありませんか? もし今になってもそんな感覚が無いとしたら、それは問題かと思います。そもそも、トップや他人様から求められないにしても、自分がそれを求めて行かないでどうしますか。
(この項 続く)
(2014年5月8日ITmediaエグゼクティブより転載)
経営者からすると「マネジャー」と総称するのは、多くの会社で課長以上でしょう。管理職として部下たちを指揮して結果を出すことが求められます。チームを率いてまとめていくわけですから、マネジャーに対して要求される能力としてよく言われるのが「リーダーシップ」です。
リーダーシップを発揮するために不可欠な行為が「コミュニケーション」、つまり部下たち(チームの成員たち)との意思疎通能力です。「リーダーシップ」と「コミュニケーション能力」は、ですから部門責任者であるマネジャーにはとても重要な能力だと喧伝されてきました。また自覚と意識がある管理職なら、この2つの領域における能力開発に鋭意励んでいるわけです。
(この項 続く)
さて、話しを「文章読本」に戻す。
大野晋先生がくさし、丸谷才一が「あれは誰かの代作」という情報を漏らした「川端・文章読本」の要諦は
「話すように書け」
ということだった。
一方、「丸谷・文章読本」は
「気取って書け」
と、真逆のことを指摘している。
私はこのごろスマホをiPhone5に代えたところ、搭載されている音声認識システムSARIに驚嘆した。メールなどはそのSARIによって、文字通り「話すとおりに書き」起こしている。しかし、それは決して達意の文にはならないし、初めから文章として書いたモノに遠く及ばない。
上述の主張に関しては、文章の理(ことわり)から言っても、丸谷才一の方が正しい。「川端・文章読本」はどこの未熟代作者がこのような妄言を書き落として、ノーベル文学賞作家の栄誉を汚してしまったのか。
かといって、それでは「丸谷・文章読本」が数有る同名書の中でピカ一なのかと言うと、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)
― 紫式部
― 井原西鶴
― 谷崎潤一郎
私は三人を日本文学史上の三大天才と思っている。
勿論それぞれに突出した偉大さもあるが、敢えて共通点を挙げるとすると、、、
それは「モラルからの開放」ということだろう。源氏物語は天皇妃との情事から始まっているし、井原西鶴は好色物で幅広い大衆的な支持を得た。谷崎の妖しさは江戸川乱歩や山田風太郎に通じるところがある。その意味で三者とも時代の頚木(くびき)から開放されて文学の価値を止揚したと言う点にその天才がある。そして三人とも長大で壮大な結構の作品を綾出した。
さて、話しを「文章読本」に戻すと、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)