本を書く (14) 丸谷才一、大野晋、谷崎潤一郎
大野晋(すすむ)先生の出棺挨拶には井上ひさしが立った。奥様はしっかりした方だったし、壮年のお子様もいらっしゃったので、この異例の挨拶者にも個人との深いいきさつを窺わせた。
作家仲間や文壇では、
「丸谷才一と井上ひさしはいいな、大野晋が国語の家庭教師に付いている」
というやっかみが言われていたほど、三人は同志的で密な関係だったと言われる。
勿論、大野先生が師の立場だった。
週刊文春がタミル語と日本語起源説について大野先生バッシングのキャンペーンを張ったとき、その文春に井上ひさしと丸谷才一は敢然と大野先生擁護の一文を載せ、同誌の編集意図と全く異なる主張を寄せた。それは異様な光景だった。
そしてーそれが正しかったかは知らないけれど―二大作家のどちらかが
「このような不当な大野批判を続けるなら、自作品を全て文藝春秋社の刊行物から引き上げる」
とまで申し入れ、事態は収拾に至った。週刊文春が矛を収めたのである。文春ほどの出版社が、外部からの指摘により筆を折ったのは他に同社雑誌マルコポーロ廃刊事件くらいだろう。
大野先生と私とは、、、
(この項 続く、しかし飛び飛び)